1/10/2013

校祖押川方義の命日

今日、1月10日は、母校東北学院の創設者で3校祖のひとり、押川方義(おしかわ まさよし)が没した日(没年は1928年)である。タイトルで「命日」と言ってるが、キリスト教では「命日」とは言わないらしい。しかし、何と言って良いのか分からないので、便宜上、命日とさせていただいた。

押川は、学校法人東北学院公式ホームページによると、
 松山藩士橋本家の三男として生まれ、押川家に入る。横浜英学校でキリスト教に触れ1872(明治5)年横浜海岸教会にてバラより受洗。日本最初のプロテスタント教会である日本基督公会を組織する。1886(明治19)年、ホーイとともに仙台神学校を創設。5年後(1891(明治24)年)に東北学院と改称する。翌年初代院長に就任し、1901(明治34)年に辞任。以後も東北学院顧問として終生関わりを持つ。
また、
武士のなったキリスト者 押川方義 管見 明治編」という本のAmazonによる商品の説明には、
名実共に日本キリスト教界の元老でありながら、誤解と偏見の下に放置されていた押川方義―自主、独立を悲願に敢然と生きたこの武士的キリスト者の半生を詳細な資料で跡づけた画期的な労作。
とある。

この本を読んでいないのでどういった誤解や偏見があるのか分からないが、120年以上の歴史を持つ東北学院の校祖として、もう少し脚光を浴びさせるというか、クローズアップされて良いのではないかと常々思っている。学校法人をあげて取り組んでもらえないかなぁ。

さて、
今週末、1月13日(日)は、我が恩師、東北学院大学体育会アメリカンフットボール部初代部長先生であらせられる柴田誠先生がお亡くなりになられた日だ。2007年にお亡くなりになられたので、早いもので6年が経つ。訃報を聞いた時の光景が今でもはっきり思い出され、師を失って受けた衝撃の大きさに自分でも驚いたほど。

私は母校に奉職したので、現役部員としてよりも卒業してからの思い出の方がずっと多い。押川ではないが、それこそ誤解され、偏見があったかどうかは分からないが、大学教員としては不遇であった。しかし、お別れの会に集まった教え子たちは数百人にのぼり、柴田先生がいかに愛され、どれだけ尊敬されていたかを改めて知った時であった。

柴田先生の教え子の皆さん、そしてKayaksOB/OG、現役部員の皆さん、今度の日曜は是非、柴田先生を想うひと時を過ごしてください。きっとゲンコツ振り上げてごしゃいでる姿を思い出し、元気が出るはずですよ!?

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