12/31/2015

走り納め

平成27(2015)年の大晦日。
仙台は風もなく穏やかで、空気はさすがに冷たいが、日向にいると暖かさを感じる。

昨夜の酒が抜けた昼過ぎに、今年の「走り納め」に行ってきた。
どこを走ろうかほんの少しだけ迷ったが、走り納めなのでやっぱり「ホームグラウンド」?である森林公園へ。

ホームグラウンドと言いつつ、久しぶりの森林公園。10月末以来、2ヶ月ぶりの森林公園は、雪こそ無いがすっかり冬の様相。枯葉も踏み砕かれて、ちょうど良い柔らかさの絨毯のようだった。

…のだが、
先日、八木山へ走りに行った際に捻挫した右足首が、寒さのせいもあってか痛みだし、連動して古傷の膝、そして腰へと痛みの連鎖が。

まぁ、これはいつものことなので、痛みの程度を感じ取って、悪化しないようにペースを保って走り続けた。

走りながら今年の反省。
昨年(2014年)は5月の仙台ハーフマラソンで無念の途中失格となり、一気にラン熱が冷めた…というか落ち込んでしばらく走れなくなった。引退か?リベンジか?などとクダラナイことばかり考えて無駄に時間を過ごした。

年が明けて、今年(2015年)になってもなかなか走る気になれず、練習不足で臨んだ今年の仙台ハーフマラソンだったが、iPhoneアプリrunmeterによると2時間16分56秒という好タイム?で何とか完走でき、まさかのリベンジを果たすことができた。

しかし、何かと忙しかったこともあって走る機会は減る一方。
そんな中エントリーした10月の松島ハーフマラソン10kmの部では、目標だった1時間切りを達成(57分台でゴールした。自分でもビックリ!)。浮かれて走る機会も増えるかと思ったが、そんなこともなく、走り始めたここ数年で最も少なかった去年より、今年はさらに100km以上少ないランニング距離で走り納めることと相成りました。


今年は50歳となり、字面や響きからも「老い」を感じることが増えた気がしたが、来年は51歳、Area51みたいでカッコいいから何となく頑張れそう…などとバカなことを考えながら大晦日を過ごしております。

今年も一年間、ありがとうございました。

12/30/2015

32期会

Kayaksの最も苦しい時期を支えてくれた第32期。
苦しい時期を支えただけでなく、東北学生一部リーグ昇格の足がかりとなった部員増員のヒントをくれたのも、第32期。私にとって最も思い出に残る学年のひとつであることに間違いない。

その32期会に招待され、仙台三越向かいの山の猿一番町店で昼食をいただいてきた。
よく試合会場で見かける顔もあるが、5〜6年ぶりに会う顔もあり、懐かしく感じつつも、つい数日前にも一緒に練習していたような錯覚に陥る不思議な感覚だった。

彼らが今年30歳の年だということを知り、私とはちょうど20歳離れているということが分かった。なので、彼らが学生の頃、10年前は私も40歳そこそこで、まだまだ血気盛んなお年頃。無茶な要求もしたっけなぁーと心の中で大いに反省しつつ、大人になった彼らとの会話を楽しんだ。

先週末は、35〜38期あたりのメンバーと飲んだのだが、彼らはKayaksが二部から一部へ昇格していく上り調子の時をチームで過ごした。彼らもまた、印象的な世代だと言える。私にとっても、監督としてのキャリアの終盤にあたり、自分でいうのも何だが、円熟味のある指導(=拳に頼らない指導、とも言う)ができていたと思う。しかし、32期が現役の頃は、チーム状態もまだどん底状態で、私の指導力も全く無かったと言っていいほどだった。

それが、32期とその前後のメンバーたちと出会い、共に練習を続けていく中で、私も指導者として成長させてもらい、チーム状況も大いに好転していった。クドいようだが、それほど彼ら32期がKayaksに与えた影響、貢献は計り知れないほど大きい。

そんな彼らの同期会に招待いただき、短い時間ではあったが再び時間を共有することができて、私は本当に嬉しかった。

今日は32期の全員が集まることは出来なかったのだが、代わって、将来Kayaksで活躍するであろう若き勇者がふたり、出席してくれていた。

正確な手の形で吸い寄せるようにボールをキャッチしている子は何とまだ生後7ヶ月。その隣でしっかりマンツーマンでカバーしているお兄ちゃんは6歳。きっとふたりとも、日本を代表するフットボール選手に成長することだろう。


残念ながら、弟君がKayaksに入部してくる頃、私は既に定年していて大学にはいないが、陰ながら彼らふたりの活躍を応援していることだろう。

みんな、今日は本当にありがとう。
勝、浩子ちゃん、かわいい息子たちと毎日楽しく、そして元気いっぱいに育ててKayaksに送り込んでください。期待しています。
晃平、試合会場ではたまに会えるが、久しぶりにゆっくり話せて良かった。
順彦、いつも審判として活躍してくれてありがとう。近いうちにまたルールを教えてください。

12/27/2015

拡大 旭ヶ丘会

近所に住むKayaksの後輩と「旭ヶ丘会」と称してたまに飲んでいるのだが、昨夜はその後輩の新たな旅立ちを祝して「拡大 旭ヶ丘会」を、旭ヶ丘を飛び出し、一番町の「寿寿」で行った。

いつもは4〜5人の旭ヶ丘会だが、昨夜は15〜16人も集まっただろうか。
近況を報告しあう中で、その後輩以外にも、新たな道を歩み始めている者、これから歩み始める者もいて、皆それぞれ大人の顔になって頑張っている様子をうかがえて楽しくもあり、頑張れと応援したい気持ちにもなった。

写真はせり鍋。
2〜3度食べたことがあるが、これって昔からある食べ方だろうか?せりの根っこなんて食べたことなかったけどなぁ。


鶴岡市や十和田市、富士山麓から駆けつけてくれた後輩もいて、もっともっと話をしたかったが、彼らが学生だった頃のようには時間はない。短い時間しか話ができず、少し寂しい感じもするね。


二次会は、定番のタカシの店。
タカシ、異動してたんだな。ということで、ここは初めてだったけど、いい感じのだった。




12/26/2015

八木山行ってきた、けど

この数日見当たらなくなっていたお気に入りのオレンジ色のボールペン(インクは黒です)が見つかった。いい気分になり、C3Xを飲んで素早く着替え、ジテ通用の愛車TREK 7.5FXに乗って行きつけの自転車屋へ。

実はこのところ前後のディレイラー(変速機)の調子が悪く、特に前はインナーに落とすとなかなかアウターに戻ってこない。後ろも数段飛ばしで変速したり、段差を乗り越えた衝撃で変速したりとめちゃくちゃ。

あと、ブレーキの効きも悪くなっていて、特に前はリムにシューがちゃんと当たらなくなっていた。

それで、上杉にある自転車屋へ乗って行って、前後ディレイラーの調整と前後ブレーキの調整をお願いした。前ブレーキはシューの減りがあるので交換した方が良いとのことで交換をお願いした。

さて、修理の間、待っているのももったいないので、とランニングへ。もちろん、そのためのC3Xであり、着替えたのももちろんランニングウェア。

とりあえず走り出し、さてどこ行こう?
榴ケ岡公園でも行くか?でも自宅からでも行けるし、せっかく上杉からだからもっと遠くへ。

あ、久しぶりに「八木山一周」行くか!

ということで、学生時代の基礎トレで走り慣れた?「八木山一周」へ行くことにした。

上杉から南下し、広瀬通を西進して青葉城址へ。
久しぶりに行ってみたら、柱の土台のようなものがたくさんあった。
写真で遠くに見えるのが伊達政宗像。手前に並んでみえるのがその土台のようなもの。
ここもいろいろ手を入れているんだな。


青葉城址を突っ切って、八木山橋を渡り、最後の坂を登りきってベニーランドへ。
賑わってるかと思ったら、営業してなかったみたい。

その後、東北放送から東北工大、向山高校を通って坂を下りおり、突き当たったら左折して霊屋方面へ。花壇から上がって、あとは赤信号に合わないようにジグザグに走って上杉に戻ってきた。

10月の松島マラソン(10kmの部)を走ってから、2〜3週間に一度のペースでしか走っておらず、しかも3〜4km、長くても7〜8kmしか走ってこなかったので、今日は頑張ったぞーと思ってiPhoneのアプリ「runmeter」をチェックしたら…

なんとiPhoneの電源が切れてる!!!
なんでや!?
と思って電源入れてみたら、案の定というか当然のことながら、runmeterもストップしてた。

11:48に走り出したのだが、12:22、青葉城址付近で止まってる。


あー
青葉城址の写真を撮ったところで電源切れちゃったのかー

4s、調子悪かったからなー
メモリ足りないのかなー

参ったなー

記録のために走ってるワケじゃないけど、記録は励みになってるんだよねー
心砕けるー

(しかも、自転車もブレーキは直ったけど、ディレイラーの調子は悪いまま。参ったー)

12/25/2015

女川カレーラーメン(小渕浜ボランティア)

12月20日(日)、学生たちと小渕浜へ行ってきた。東北学院大学災害ボランティアステーションによる漁業支援。旧牡鹿町の小渕浜へ行くのは、これで4回目かな。

最初に行ったのは今年3月末。
寒い中、ワカメの収穫作業の手伝いで単純ながらキツイ作業だった。

2回目は8月末。
「夏ボラ」と呼ばれる夏休み中のイベントで、全国から集まった大学生をマイクロバスに乗せて行った。この時は比較的簡単な作業だったけど、マイクロバスの運転はやっぱり気疲れしたなぁ。

3回目は11月下旬。
強風が吹き荒れる中、屋外の作業で寒かったけど、作業しているうちにあったかくなってきた。「殻こ刺し」と言われる作業を初めてやった。牡蠣の養殖に使う、ホタテの貝殻を針金で繋げる作業だ。

そして、今回、12月が4回目の小渕浜。
少し風があって海に出れないと漁師さんが言ってたが、前回11月の強風に比べれば穏やかで暖かだった。作業は比較的軽微な作業。しかも、日帰りだったので、体にはラクだった。

11月の時にもあったが、来年2月に企画しているイベントの打ち合わせを兼ねていたのでミーティングの時間もあり、私は付き添って、現地の方々とボランティアステーション学生スタッフの話し合いを見守った。

学生スタッフたちはしっかりしているし、「夏ボラ」や大学祭の企画運営を経験しているので、下手に私が口出しするより任せた方がずっといい。大学職員として知っている部分あるいはマイクロバスのドライバー(2月のイベントではまた運転する予定)として必要なことをほんの少し話す程度で十分打ち合わせは成り立つ。

今回、現地の方の計らいで、女川町に昼飯を食いに行った。
女川も震災の津波で町は壊滅的被害を受けた。
実は、2007年にKayaksの夏合宿で女川町を訪れており、ずっと気になっていたのだが、逆にそのこともあって行きづらい気持ちにもなっていた。今回、図らずも女川町を訪れる機会を得て、有り難かった。

現地の方と学生数名をワゴン車に乗せ、コバルトラインを通って女川へ。
よく晴れて、海がとても綺麗だった。


現地の方は、「きぼうのかね商店街」という女川の仮設商店街に案内してくれたのだが、お目当の店が生憎貸切で、他の店も行列ができて入れなそう。
それで、急遽近くの「金華楼」へ。


震災前は確か海のそばにあったはずだが、今はもちろん海から離れ、住宅地の中にある。
で、何を食べようか迷い、有名なうにラーメンも気になったが、ここはせっかく女川に来たからと「女川カレーラーメン」。


初めて聞いたけど、女川カレーというのは結構有名らしい。それのラーメン版。
野菜たっぷり、シイタケたっぷり、カレー自体はやや薄味で麺は細麺。カレーラーメンというもの自体、それほどメジャーじゃないと思うが、寒い日にはこれもアリだな、と思った。

さて、女川の町の様子。
写真は撮らなかった。撮れなかった。
けど、2007年の夏合宿で泊まった旅館も、夜にこっそりスイーツを買いに行ったコンビニも、朝の体操をした広場も、全部何もかも無くなっていた。

練習したグラウンドは高台にあり、今回は寄らなかったがおそらく残ってはいるのだろう。ただ、総合運動施設だったそこは、震災当時遺体安置所になったと聞いた。

今は何もない状態の女川だが、新しい街づくりを進めている最中なのだろうか。あるいは、もうあそこには人は住めないように規制されてしまったのだろうか。日曜だったこともあって、街は静かに休んでいる様子だった。

昼飯を終えて戻った牡鹿、小渕浜周辺もまた、街に活気はもどってきたとは言え、震災の爪痕はまだまだたくさん残っている。

津波被害を受けずに残った立派な家だと思っていた家が、反対側から見たら津波の影響で割れた窓ガラスがそのままだったり、一階での生活は未だできず、二階でだけ生活していたり、実際に現地に行っても、見る目がなければ見えないものがたくさんあるということに改めて気付かされた今回の小渕浜漁業支援ボランティアだった。

<2007年の夏合宿の様子>
夏合宿1日目
夏合宿2日目
夏合宿3日目
夏合宿4日目(最終日)

11/23/2015

機種変できない

今も使い続けている iPhone 4s。
iOSが新しくなる度、動きが緩慢になってきて、今では相当ストレスを感じるほどもっさりだ。

最近、何度か6sに機種変しようとソフトバンクや量販店を訪れているのだが、複数あるはずのプランから一番高い料金体系しか勧められたなかったり(他にプランがないとか言われてアタマきた)、店員が全然つかまらなかったりで(店が混んでたのは確かだが)、さっぱり手続きできずにいる。もう永遠に機種変できないんじゃないか?!と感じるほど。

またしばらく諦めて使うことにするか。

ちなみに、
iPhone 4sは、その発表翌日にスティーブ・ジョブズが亡くなったことから、For Steveの4sだなどと言われていた機種。

そして、
愛車ホンダ・ビートは、本田宗一郎が生前最後に発表を見守った四輪車と言われている車。

別にそういうの狙ってる訳ではないです。

11/17/2015

El Capitan クリーンインストール

MacBook Air の OS X El Capitan をクリーンインストールした。その備忘録。

【Mac】OS X El Capitan(エルキャピタン)をクリーンインストールする方法。
http://wayohoo.com/mac/tips/how-to-clean-install-os-x-el-capitan.html

OS X El Capitan: Mac に付属のアプリケーションを再インストールする
https://support.apple.com/kb/PH21972?locale=ja_JP&viewlocale=ja_JP

[Mac]Launchpadへ勝手に表示されるChromeのリンクアイコンの消し方
http://ore-ch.com/chromelink-delete.html

El Capitanで3本指のドラッグを有効にする
http://qiita.com/FumihikoSHIROYAMA/items/f49683f87700111fa57a

10/05/2015

栃木県鹿沼市での豪雨災害ボランティア

10月3日(土)〜4日(日)の2日間、東北学院大学の学生たちと共に栃木県鹿沼市での豪雨災害ボランティアへ行ってきた。

鹿沼市は、平成27年9月関東・東北豪雨によって被災した。
山間地域は土砂崩れ、そして田畑への土砂の流入、住宅地域では床上・床下浸水といった被害が出た。今回は、豪雨被災地域屋外での清掃活動と、宇都宮大学国際医療福祉大学と連携して被災家屋を一軒一軒訪問する傾聴ボランティアを行った。

初日、3日(土)は、朝9時に土樋キャンパスを大人2人、学生6人で出発し、約3時間で鹿沼市災害ボランティアセンター(鹿沼市社会福祉協議会)に到着した。

この日は、一般のボランティアさんと共に、裏山から個人の田んぼに流れ落ちた土砂を撤去する作業。午後のみの作業だったため、短時間で成果を出そうと皆やっきになって土砂と格闘した。

ある程度の成果は出たが、個人的に気になったのは、一般のボランティアさんが大騒ぎとまでは言わないまでも、ちょっとおふざけが過ぎるかな?と感じたこと。

私が極端すぎるのかもしれないが、被災した個人の土地に土足で( ←これは当たり前だが)入って作業するのだが、被災した側にしてみれば、確かにボランティアの力を借りるとは言え、自分の田んぼをぐちゃぐちゃ踏み荒らされることに変わりない訳で、それも水害のせいで自分のせいでなく、そんな中、ガヤガヤおふざけが過ぎるのは、やっぱりいい気分じゃないんじゃなかろうかと。

東日本大震災では、多くの方が犠牲となった。そんな中のボランティア活動では、家族を失った方々が多くいる地域で悪ふざけなどする気にならなかったし、そうすることは許されなかった。当たり前に。

今回訪れた鹿沼市の板荷地区は、幸いなことにさほど大きな被害はなかったようで、私が気にするようなことはないのかもしれないが。

でも、やっぱり、気になった。


さて、
ハードな作業を終えて、今回は鹿沼市のお隣、宇都宮市にある宇都宮大学さんに宿泊場所をご提供いただいたので、宇都宮市へ移動。

宇都宮と言えば、餃子です!
宇都宮大学の先生に情報提供いただき、ドン・キホーテ地下の来らっせへ。
いろんな餃子店の餃子が盛り合わせで食べれる、「餃子のテーマパーク」。


美味しくいただきました。
(ビールはノンアルです)

宿泊は、宇都宮大学の大学会館。
大学生協が入る厚生施設で、2階にある和室に泊めていただいた。
とても快適でした。


さて、翌日、4日(日)は傾聴ボランティア。
宇都宮大学と国際医療福祉大学と東北学院大学の学生がチームを組み、鹿沼市板荷地区のお宅を訪問して豪雨災害のその後の様子を伺い、生活再建のニーズを掘り起こすというもの。

私が付き添ったグループが訪問した地域は、幸い被害がなかったのだが、大学生が訪問したということを喜んでくださるご家庭が多く、大人ではなく、大学生だからこそできる活動があるということを改めて実感した。

当時はNHKの取材もあった。


活動後は報告書を作成して社協に引き継ぎ。


今回も、多くの方々との連携により、無事に活動を終えることができた。
宇都宮大学の皆さん、社協の皆さん、地元板荷地区の皆さんには心から感謝です。

さて、
帰りの車中で学生たちと2日間の振り返りを行い、私は、もっと積極的になれたはず、と学生たちに苦言を呈してしまった。
何度か一緒に活動を共にしたことがある学生が多く、彼らを知っているからこそ、もっとできるはずなのに!という思いが強く出てしまった。それでつい、指導者的発言をしてしまった訳だが、果たしてそれが彼らに伝わったのかどうか。ボランティア活動は(他のあらゆることにも言えると思うが)、活動そのものの成果も大事だが、その活動から何を自分たちが得たか、ということも大事なんだと思う。学生のうちは、特に後者が大事なんじゃないだろうか。そんなことを気付かせてあげれるほど深い関わりも持てていないので歯痒いが、ついつい出しゃばって話してしまった。ちょっとばかり反省。

9/29/2015

新さんま塩焼き

新さんま塩焼き 194円、豆腐とわかめの味噌汁 32円、小ライス 64円、あえもの 54円、計344円、504kcal。


さんま、しょっぱ過ぎ!

9/25/2015

大崎市へ

Kayaksの初戦の前日、東北学院大学の学生たちを連れて宮城県大崎市へ災害復興ボランティアへ行ってきた。今月9日から11日に関東から東北地方で発生した豪雨、いわゆる「平成27年9月関東・東北豪雨」によって被災した地域だ。

東北学院大学災害ボランティアステーションが企画したボランティア活動で、Kayaks初戦の前日である9月20日(日)から22日(火)までの3日間、学生たちを募って、主に床上・床下浸水したお宅の清掃作業等を行った。

私は、初日の20日(日)に学生・教職員ら20 名をマイクロバスに乗せ、運転手兼ボランティアとして参加した。

現地では3班に分かれて作業したが、私は、本学の学生4名と一般ボランティア2名と共に、床上浸水したお宅の床板を取り払い、床下に流れ込んだ汚泥を撤去する作業を行った。

震災直後のボランティア活動は、こうした汚泥撤去や家財道具の運び出しなど肉体労働が主だったが、今の学生たちはまだ当時中学生や高校生で、そうしたボランティア活動に従事したことは、おそらく無いはずである。意外にキツく、そして思ったほど捗らない肉体労働にくたびれた様子であった。(もちろん私はその後数日筋肉痛だった)

数名で取り掛かっても、1日の作業で片付くのはひと部屋程度。ボランティアの人数が足りないというのはそういうことで、スペースの都合上、一度に取りかかれる人数に限度はあるが、延べ人数として多くの力が必要だ。

昨日受けた報告によると、それでも大崎市の方はひと段落ついて、団体でのボランティア申し込みは終了したとのこと。今後は復旧へと進んでいくのだろうが、地元の方々にはくれぐれも無理なさらずに、健康第一で頑張っていただきたいと思う。

9/24/2015

新ユニフォーム

またまた更新が滞ってしまった。
8月下旬の出張から帰って、またいろいろと慌ただしくしてた…ような感じ?!
ボチボチ遡って更新してみようかと。

まずは、シルバーウィーク。
ほとんど何もせず、ぐだぐだ休んでました。
で、9月21日(月)敬老の日、Kayaksの今シーズン初戦が行われた。対戦相手は秋田大学。空気は清々しいものの、国道に設置された気温計が29℃を表示しており、おびただしい数のトンボが飛ぶ、暑い秋の日だった。

我らが東北学院大学体育会アメリカンフットボール部Kayaksは今年、創部40周年を迎えた。
その記念として、なのかどうかは分からないが、ユニフォームが新しくなった。
事前に部員から相談を受けていて、個人的には賛成しかねたのだが、それを突き通すほどの立場にはなく、部員たちが「スクールカラー」という淡いブルーベースのユニフォームに新調された。


さて、試合だが、結果は残念ながら0対35でKayaksは敗れ、新しいユニフォームでの初勝利はお預けとなった。
フットボールの基本に忠実であろうとする秋田大学はサイズもあり、人数もKayaksより多い。良い練習を積み重ねてきたであろうことは、試合前練習を見ただけで分かった。

対する、我がKayaksはというと、基本的な動作がまだ体に染み付いていないという感じ。その分、チーム独自の戦術の習得に時間を掛けたのだろうが、物事には順序がある。しっかりした基礎・土台の上にしか立派な家は建たない。不用意なミスやファウルも多く、得点差以上の実力差があるように感じてしまった。

もちろん、これからの残り試合で、もっと良い試合をすることは可能である。それだけの時間がまだ残されている。あとはやるか、やらないか。規律あるチームへと成長すべく訓練を続け、その先にある勝利を目指して、若きKayaksたちにはますます頑張って欲しい。

8/29/2015

華やかなフラワーバスケット

東北地区の国公私立大学・短大・高専の学生対応を行う職員が40人ほど集まる2泊3日の研修に参加してきた。

会場は、岩手県盛岡市にある岩手大学。
学部学生約5,000名、大学院生約800名が、1つのキャンパスで学ぶ大学(旧国立一期校)で、サークルに所属する学生が約3,000名という、サークル活動が非常に活発な大学である。

研修は、若手職員対象のプログラムで、まぁ50歳のおじさん職員にとってもそれなりに得るものがなくはなかったが、何より印象的だったのは、会場である岩手大学のキャンパスに飾られた花。


こんな感じに、生け垣とかプランターではなく、フラワーバスケットのように飾られていて、写真のように案内表示を華やかに演出するものの他、建物の玄関に飾られたものもあった。

こんな感じに花を飾った大学を私は見たことがなかったので、とても印象的で、岩手大学というと泥臭い(良い意味でね)イメージだったのだが、すっかり華やかで明るい印象に変わってしまった。

8/28/2015

やまざきポークカツサンド

今日のランチ。
幸福の寿し本舗のカツサンド。青森県産やまざきポーク使用。とコーヒー、ラージサイズ。合計1,100円也。


お値段の割にカツが薄っ!って感じだが、まぁ、こんなもんだろうね。


意外にも歯応えがあって、わざわざ⚪︎⚪︎使用って謳う必要あるのかな?って気もしたが、そもそも柔らかさを売りにしてる訳ではなさそう。


きっとビタミン豊富で栄養満点なんだろうね。

あ、でも、美味しかったですよ、ホントに。

男女平等?!

本学では女子トイレにしか付いてないが、ここには男子トイレにも付いてた。さすが国立、男女平等だ!?


8/26/2015

明月館

昨日の昼食は、岩手大学の南東斜向かいにある「明月館」のCランチ、1,000円。

冷麺・ビビンバ・クッパのいずれかと、カルビ・ラムロースのいずれか^o^選ぶ。私は当然、冷麺&ラムロースの組み合わせ。食後にコーヒーを付けて、豪華ランチに。



冷麺は、甘みはなく、あっさりした味付け。辛味も薄味で、辛さよりも酸味が強い。

ラムロースは柔らかく、ラム臭さは僅かに残る程度。ホント、美味かったっす。

8/25/2015

寒っ

7月中旬から連日30℃超え、今月、8月初旬には35℃、36℃なんて日も続いた仙台だが、昨夜は冷え込んで、夜中寒くて起きたほど。上下スウェットを着込んで寝直した。

調べてみると、深夜2時以降は18℃以下まで冷え込んだようだ。

ほんの1~2週間前の暑さが夢のよう…

8/24/2015

スポーク折れてた

数日前からリアディレイラーが不調な通勤用自転車。
今度はリアブレーキが片効きし始めた。

昨年5月に購入以来、前後共ブレーキの片効き調整には悩まされ続けてきたのだが、早坂サイクル上杉本店で調整してもらってからは、全く不調に陥ることはなかった。

ところが、今回、またも片効き。やっぱりダメかぁ~と思っていたのだが、今朝、タイヤに空気を入れようとしゃがんで見たところ、何とリヤのスポークが一本外れてるではないかッ!

片効きの原因はこれかぁ~!

つーか、スポーク外れてたのかぁ?!

外れてた、っていうか、固定部分の根元が折れたって感じ。
また修理せねば。

ヒマなら自分でやってみたい気もするけどねぇ~

この自転車、10万円以上したのに不調な期間が長過ぎ…
やっぱ、通勤用自転車なんて、高くても4~5万円ぐらいのにしとけばヨカッタかなぁ~


8/20/2015

T字

最近、T字カミソリでヒゲ剃ってます。

ずーっと、30年以上、電気シェーバーでヒゲ剃りしてきたけど、先週のボランティアで荷物を少しでも減らしたいなというのと、結構メンドクサくてヒゲ剃りが。もしかしてT字の方が剃り残し無く剃れるかと思って試してみた。

そしたら、思ってた以上にイイ!
しばらくT字にハマりそう?です。

8/18/2015

絶不調…

ほぼ1週間ぶりにジテ通したのだが、愛車トレック7.5FXが絶不調…

リアディレイラーが「一体どうしちゃったの?!」ってぐらい動きが悪い。シフトダウンはまだ良いが、さっぱりシフトアップしない。で、忘れた頃に「ガタンッ!」ってチェーンが落ちる。

こないだまでは、ほぼ毎日、チェーンが外れるし…

また調整してもらいに自転車屋に行かなきゃな。

8/17/2015

交通ルール・マナーを守りましょう

先週、2泊3日で雄勝町へ学生たちのボランティアの付き添いで行ってきたのだが、ちょうどお盆と重なっていたため、帰路の高速道路で渋滞にあってしまった。

とあるジャンクションで渋滞から抜け出せたのだが、そのジャンクションで左端の路肩を走る乗用車に危なく追突されそうになった。

こちらは左側の走行車線から、左に進路を取っただけなのに、路肩を走る乗用車が無理やり私が運転するマイクロバスの進路を塞いで割り込んできたのだ。

見れば、運転していたのはイイ年をしたおっさんで、隣に奥さんらしき人を乗せていた。

やむを得ず急がねばならない事情があったのかもしれないが、あんたのせいでこっちが巻き添えを食ったかもしれないんだよ。年を重ねたら、そんなバカなことせず(若い諸君も、だね)ルールを守れよなッ!

交通ルールと言えば、最近気になることがある。
坂道ですれ違う時、「登り優先」が当然だと思っていたのだが、最近、下りのクルマが関係なく突っ込んでくる。

何様だ!と叫びたくなる(たまにホントに叫んでしまう)ほど。

オートマが当たり前になってマニュアル車が絶滅危惧種となった今、「登り優先」も失われつつある譲り合い精神になってしまったのかねぇ。

8/16/2015

2ヶ月ぶり!

すっかりサボり続けて、2ヶ月ぶりの投稿です。
サボり続けて…というのは正確ではなくて、この2ヶ月、というか、それ以前からも投稿数が減っちゃったのは、ブログ等で公表できない事柄に支配されてしまって自分自身をコントロールできなくなってしまっていたから。

だと思われます。

まぁ、ちょっとメンドクサク感じてたのも確かにあるけど。

それで、自分自身を取り戻すというと大袈裟だけど、ブログには書けないことは当然ある訳だけど(仕事のこととかね)、日頃感じたこと気になったことなどを再び勝手気ままに綴っていこうかと。

さて、
昨日までの3日間、学生たちが雄勝町でボランティア活動をするというので、マイクロバスの運転手として参加してきた。

活動の中心となるのは、震災前から行われていた灯籠流しのお手伝い。震災によって激減した現地住民に代わって灯篭を作り、片付けまでを行う。

私は、雄勝町は初めて。
遠目には、海と山が共存する美しい風景だが、足下に目を移すと、津波が全てを持ち去った痕跡がはっきりと残っている。

今回の活動は、東北学院大学の学生だけでなく、他大学からも学生を募って行う夏休み企画のひとつ。中心となる運営スタッフは本学の学生で、参加学生はおよそ30人。付き添うオトナは私を含めて3人。できるだけ学生の主体性を生かした活動を目指したが、なかなか良い活動だったと思う。

私は、できるだけ目立たないように活動した。それが良いのか悪いのかは分からないが、とりあえずそうしようと思った。

他大学の企画するボランティア活動では、コーディネーターや臨床心理士(だったかな?)が同行して、事前に「講義」を行ったり、様々なケアを準備する場合もあるようだが、本企画では、運営スタッフである学生がそうしたサポートも受け持つ。せっかくそうした企画に参加するのだから、付き添うオトナが目立ってしまっては本末転倒かと。公序良俗に反しない限り、彼らの方針を最大限認めて付き添った。

それによって、私自身には多少のフラストレーションは生じたが、まぁ、学生たちの成長の糧になったと思えば諦めもつく。

今回、初めて「語り部」と言われる方の話を聞いた。
鬼気迫る話ぶりに多くの学生たちが涙を流していたが、私にとっても衝撃的だった。

その方は母親と祖母を亡くしたのだが、母親の死因は凍死。つまり、津波からは生き逃れたのに、その日の晩の寒さには耐えられなかった。そしてさらに、他人と間違われて引き取られ、何と火葬までされてしまっていたとのこと。

津波によって、本人確認が難しい場合もあるという話は聞いたことがあったが、既に火葬されお骨になってしまってから再会できた場合があったとは。どんな姿であっても、一目会いたかっただろうに。胸が苦しくなる。

それから、今回、初めて大川小学校を訪れた。
児童・教職員の大半が津波の犠牲となった場所だ。

今もなお、当時のまま校舎が残っていて、津波の破壊力を私たちに静かに語りかけていた。

震災発生から4年5ヶ月。
あらためて、お亡くなりになった方々のご冥福をお祈りします。

【2015大学間連携夏ボラ】石巻市雄勝町プロジェクトがスタート
8月14日東北学院大学ボラステの皆さんに防災教育を実施!

6/16/2015

血液検査の結果

かかりつけの病院で採血した検査結果を聞きに行ってきた。

尿酸値もコレステロール値も全く改善せず。

クスリを変えてみましょう、という医者のアドバイスに従って、尿酸値を下げるクスリを変え、コレステロール値を下げるクスリも変えて再開することに。

やっぱり気分は良くない…
皆さんも健康にはご注意ください。

5/23/2015

物忘れ?

最近、というか、ここ数日、物忘れ?置き忘れ?が激しく、今現在で、自転車に乗る時にズボンの裾をしぼるゴムバンドと、クルマを運転する時に掛けるメガネが見当たらない。

どこ置いたかなぁ?

5/17/2015

今月も牧沢へ

先月19日に続き、今日も気仙沼市の牧沢仮設住宅へ学生たち9人を連れて行ってきた。
今回は、仮設住宅の近くにあるリアス・アーク美術館内にあるレストラン「キッチンスペース 夢の舎」で昼食をいただきながら、住民の皆さんと交流を深めるという企画。往復の散歩も、外出が少なくなりがちなお年寄りにとっては大切な意味を持つ。

学生たちは、それぞれ住民の皆さんとおしゃべりしながら歩き、率先してコミュニケーションを図ろうとしている。今回初めて参加する学生も、他大学から参加してきた学生も、やはりボランティアに参加しようというだけあって、取り組みが積極的で、いつものことながら感心してしまう。

「キッチンスペース 夢の舎」は、大きな窓から美しい景観を望め、そのほとんどが地元気仙沼産の食材という料理もたいへん美味しく、心地良い空間だった。

食事中の様子↓



私も、2月に初めて牧沢を訪れてから、いつもお世話をしてくれる方とじっくりお話しする時間を 得、とても有意義に過ごすことができた。70歳を超えているとのことだが、矍鑠として常に学生たちに厳しく、しかし優しく接してくれる。料理の段取りから人生訓まで、話題に事欠かず、この方と接することは、牧沢にボランティアに行く学生たちにとって(私にとっても)ボランティアそのものと同じくらい重要な意味を持っている気がする。

食事のあとは、他のボランティアの方が刈り取った草を取りまとめて袋詰めして捨てる作業。今日は日差しが強かったので、短時間の作業だったが、なかなか厳しかったな!?



5/10/2015

完走の余韻

2年ぶりに完走した仙台ハーフマラソン。
軽いギックリ腰やら古傷の膝痛やらで、スタート前は十中八九リタイアかな?と思っていたが、iPhoneを入れるために着けていたウエストポーチがコルセット代わりとなって、腰痛は悪化することなく、膝痛は相も変わらず…というか、加齢と共にこちらは悪化してる気がするが、足を引きずりながらも、まずまずのペースで走り続けることができた。

昨年は無念の途中失格だったので、完走は感無量。仕事やいろいろなことがあって練習が思うようにできずに臨んだだけに、本当に嬉しい。


今回は、ホントに完走が目標だったので大満足! 膝の調子から言っても、記録はこれ以上は望めそうもないしね。


さて、今晩は余韻を味わいつつノンビリ休もう。





祝 完走!

何とか完走できました!

膝から腰から足から…痛いトコだらけだけど、とりあえず完走できたからOK!

スタート待ち

昨年、まさかの最終関門で失格という屈辱を味わった仙台ハーフマラソン。性懲りも無く、今年もエントリー。

GW中に軽いギックリ腰となる不運に見舞われながらも、何とかスタートラインに着いてます。

天気が良く、日差しが強くて風もあるという、あまり良くない?コンディションですが、腰痛と古傷の膝痛を楽しみながら走ろうかと。

完走できれば良いけど、無理せず頑張るべ。

4/27/2015

一度にひとつ

何か知らんけど、笑っちゃうぐらい忙しいぞ?!

焦って自分を見失わないように気を付けよう。
どうせやれることは一度にひとつだけなんだから。

4/21/2015

前照灯が盗まれた

仕事を終えて、21時過ぎに駐輪場へ行ってみると、愛車のクロスバイクに装着していた前照灯が盗まれていた。

前の自転車を買った時に、確かに盗まれやすいから駐輪する時は外して持ち歩いた方が良いとは言われていたが、これまで4年以上、盗まれたことはなかった。

よりによって、仕事(と言っても本業じゃない方)で疲れてる時に、学内の駐輪場に駐輪していて盗まれたとあって、腹が立つやら悲しいやら。

おまけに、帰宅して鍵をかけようとして手を滑らせて、鍵の金具がフレームに当たって塗装が剥げて傷が付いた。

残業代も出ない、手当も出ない仕事を自分では一所懸命頑張っているつもりなのに、何でこんな目に合わなきゃないんだろう…と虚しくなってやる気が失せる。けど、頑張るしかない。

夜中に愚痴ってすみません。

4/19/2015

再び牧沢へ

2月にも訪れた気仙沼市赤岩の「牧沢仮設」へ学生9人を連れて行ってきた。
前回は雪が降る中の移動、現地でも雪かきをしたのだが、今回はお花見。天気も良く、外にテーブルを出して昼食をいただいた。

学生たちは豚汁と焼き餅を計画し、現地の方が気仙沼ホルモンを準備してくれていた。私もバーベキューセットで木炭に火起しし、ホルモンや野菜を焼いてお手伝い。男子学生が作った豚汁がとても美味しかったのだが、どうやら味付けは現地のベテラン主婦のよう。でも、彼も前回同様、とても頑張ってました。

食事の様子はこちら↓


前回同様、帰省してきた孫たち(学生たち)とおじいちゃん、おばあちゃん、あるいは、子供たちと従姉妹の大学生のお兄ちゃんお姉ちゃんといった感じで、和気あいあい、本当に楽しんでいる様子で、見ていて心温まる光景だった。

食事のあとはみんなで後片付けをし、その後今回は、来週、災害ボランティアステーションの行事として気仙沼を訪れるバスツアーの下見として、まずは牧沢仮設の近くにあるリアス・アーク美術館へ。


そして、復興屋台村気仙沼横丁


続いて、気仙沼復興商店街南町紫市場へ。


屋台村も市場も、午後3時頃だったがお客さんがいて、それなりに盛り上がっている様子。
ただ、私は気仙沼の海のそばを震災後に歩くのは初めてだったのだが、まだ、津波の爪痕を残す建物が数多く残っていて、復興はまだまだ道半ば…どころか、本当に進んでいるのか、まだ何も始まってないんじゃないのか、とすら感じた。

ホヤぼーやが示す津波到達点は6.3メートル。


屋台村にこんな石碑がありました。
冷蔵庫創業の地。だそうです。


4/17/2015

濃淡

枝垂桜と染井吉野。

4/12/2015

今日のワークアウト

来月開催の仙台ハーフマラソンを1ヶ月後に控え、今日は久しぶりのランニング。今年は、最終関門で止められて完走できなかった昨年以上に走り込めていない。何とか今年こそは完走を、と願っているが、時間が取れずひと月前になってしまった。

で、最後の悪あがきでもしようかと、今日は家から南下して青葉城址→八木山ベニーランド→向山を回るコース、約18kmを2時間ほどかけて走ってきた。

走り始めた当初は腰が痛み、その後比較的快調に走ったが、八木山の下りからは左膝の古傷が痛みだし、最後は歩くようなスピード…というか、歩くのもやっとな感じ。まぁ、いつもと同じってことだが。

あと1ヶ月弱、最後まであきらめずに頑張るぞ。



4/09/2015

満開

桜、満開です。


4/02/2015

入学式

今日は入学式。
よく晴れました。

実りある学生生活が送れますように。


4/01/2015

新年度になりました

いろいろ書きたいこともあるけど、時間がなかったり、ブログには書きにくいことだったり、いろいろあって書けずにいます。

そのうち折を見て(書けることは)書き綴りたいなと思ってますので、あたたかい目で見守ってください。

新年度もどうぞよろしく。

3/15/2015

追いコン

昨日はKayaksの追い出しコンパに行ってきた。
今年卒業する学年は、2011年に入学してきた学生たち。あの震災直後に入学してきた学生たちだ。

大学も被害を受け、入学は5月にずれ込んだ。練習もしばらくは朝練を強いられた。

そして、彼らが入部した直後、私は監督を辞した。

わずか数週間だが、一緒にグラウンドに立った部員たちが卒業していく。

何もしてやれなかったが、みんな立派に無事卒業していく。
4年間、お疲れさまでした。

マフラー交換

以前からお世話になっているディーラーで、愛車のマフラー交換をしてもらった。

評判の良い「ちょい悪おやじ仕様」のステンレスマフラー。

ホントは自分で交換したかったのだが、ジャッキやらウマやらなかなか準備できず、お手軽にディーラーに頼んでしまった。

昨日のうちに頼んでおいて、今朝取りに行ったのだが、手違いがあったらしく、これから作業始めますとのこと。小一時間ほど待たされて、作業終了。

さて、帰ろうと愛車を走らせ、排気音を楽しもうかと思ったが、予想以上に静か。ノーマルとの違いがほとんど分からない。

へー、こんなもんかぁー

と思った矢先、触媒?の警告灯が点灯していることに気付いた。

おいおい、やっとマフラー交換したのに、何だよー、と思いながらディーラーにUターン。確認してもらったところ、ネジがしめられてなかった?!

今回作業してもらったところじゃなかったが、そんなことあるのかとビックリ。
まー、旧いクルマだから多少のトラブルは仕方ないが、作業待たされた上に警告灯がついたりしたもんだから、今日はチョット嫌な気分になっちまったな。



3/11/2015

4年経ちました

2011(平成23)年3月11日(金)14:46に発生した東日本大震災から4年が経ちました。
今朝は、地震発生直後のような雪が降っています。
寒い朝です。

復興が長期化している、と、今朝のニュースで言っていました。
遅れている、って何で言わないのかな、と瞬間的に思ったけど、遅らせてる訳じゃないだろうからな、仕方ないな、とも思った。難しいところです。

引き続き、何らかの形で復旧復興に関わり続けたいと思います。
単なる自己満足にならないように、気を付けながら。


3/01/2015

半世紀

ご報告が遅くなりましたが、先月ついに満五十歳となりました。

50年生きとります。

半世紀です。

特別な感情は湧き起こりませんでしたが、50年生きてると考えた時に寂寞たる思いが全く無かったとは言えませんかね。

まだまだ活躍される諸先輩方が多い中、五十歳なんて若造の部類と言えるでしょう。日々精進を重ねて参りますので、今後ともよろしくご指導ください。

2/25/2015

バッテリー交換

朝メシ前にちゃちゃっとバッテリー交換。

端子をマイナス→プラスの順に外し、

手前角に見える固定金具のナットを緩め、

古いバッテリーを撤去。
うわっ、汚い! ということで、ケースを取り外して水洗い。

綺麗になったところで新しいバッテリー、Panasonic caos 60B19Rを設置!

取り外しの時とは逆に、プラス→マイナスの順に端子を繋いで、固定金具でしっかり固定してバッテリー交換完了。

エンジンをかけてみたら… 無事かかった!
走行距離135,909kmでバッテリー交換です。

2/22/2015

歩く三校祖

先週、19日(木)、本学土樋キャンパス押川記念ホールで行われた「東北学院史資料センター2014年度シンポジウム『歩く三校祖』」に参加してきた。学内に貼られたポスターも印象的だったし、「歩く三校祖」というネーミングもなかなか興味をそそる。果たして、その興味を十分に満足させる内容であった。

本学は来年、創立130周年を迎えるが、このシンポジウムでは、約90年前の創立40周年記念事業の映像(もちろん白黒!無声映画!)と、約30年前に作られた創立100周年記念映画を上映した。

100周年の時、私はもう大学4年生だったので、その大部分の映像は実体験としての懐かしさに溢れ、キャンパスを歩く80年代の学生のヘアースタイルやファッションが可笑しく、また、今はもう退職された当時の教授陣の若々しさに若干驚いた。

一方、40周年の映像は、まさにチャップリンの無声映画を見ているかのようなワクワク感を持って見た。そしてそのワクワク感は、映像に写っている人物たちのワクワク感に共感しているような感覚でもあった。

本学は、押川方義・W.E.ホーイ・D.B.シュネーダーの3人を校祖としている。
学校が作られたのは130年も前の出来事だから、この3人はまさに歴史上の人物で、変な言い方だが、その存在を実感するのが私には難しかった。

私は高校から東北学院に通っているので、この3人について、まぁまぁ知っている方だと思うのだが、この映像を見るのは初めてだったし、動く三校祖を見るのはもちろん初めてのこと。映像の中で動いている三校祖を見て、初めてその存在を実感し、あー、この人たちが東北学院(当初は仙台神学校と言った)を起こした人たちなんだなー、と感慨深い思いを持った。

しかし、このシンポジウムにおいて何よりも印象的だったのは、その90年前の映像に出てくる外国人のご婦人たち(という言い方が最も相応しく感じた)のウキウキとした楽しげな表情や仕草。

キリスト教布教というミッションに突き動かされたとは言え、小さな極東の島国に渡り、そのさらに東北の小さな田舎町であったろう仙台に、教師2人生徒6人から起こした小さな学校が40周年を迎え、そのお祝いには、多くの仙台市民も訪れた様子(当時は娯楽が無かったから、という解説ではあったが)を見れば、そのウキウキとした気持ちも容易に理解できる。

そうしたウキウキ感、わくわく感が溢れ出るほど、40周年記念事業は楽しい出来事だったのだろうと思うと、なんだかすごく羨ましく感じた。

もちろん、ただみんなが集まって、久しぶりに母国の友人と再会できてウキウキワクワクしていたのかもしれないが、それで良いと思う。そういうイベントを実施したということが大事。まもなく創立130周年を迎える東北学院は、果たしてそうしたウキウキワクワクするイベントを企画実施することができるのだろうか?ということ。

時代が違う、他もこうだから、とかではなく、小さな学校が様々な苦境を乗り越えて創立140周年を迎えるのである。大事な家族の140歳の誕生日なのだから、みんなが心からお祝いできるようなイベントを実施したら良いと思う。そうすべきだと思う。お祝いする雰囲気を作るべきだと思う。

小さいうちから誕生祝いをされて育てば、大人になっても誕生日が楽しげな日になるはずだし、他人の誕生日もお祝いしたくなるのではないだろうか。東北学院の組織風土として、創立を祝う環境を大事にしてきたのか?しようとしてるのか? 学生・同窓生・教職員を大事にして初めて、皆が学校を大事に思い、学校の創立を祝う気持ちが生まれるのではないか?果たしてこれまでそうしてきたのか?

40周年の映像に猛省し、大事なことをみんなで思い出して、再び素晴らしい学校をみんなで作っていくべきだと感じた。

caos

やっと届いた。
新品のバッテリー。(バッテリー上がり?
でも大丈夫かな? 20年以上前のクルマに最新のバッテリー。古い皮袋に新しいぶどう酒を入れたみたいにならないかな?


2/16/2015

備忘メモ COCキックオフシンポジウム

先週土曜日に開催された「COCキックオフシンポジウム/第3回東北域学シンポジウム」の個人的備忘メモ。

<モンカの挨拶より>
人材育成の結果を目に見える形

<基調講演>
「新しい“知”と“地”の構築に向けて」
合田隆史氏(尚絅学院大学長)

与えられた2つのテーマ
1)18才人口の減少をどう受け止めるか
2)政策的潮流の中での大学と地域社会との関係性およびその再構築

18才人口の減少をどう受け止めるか
現役志願率が頭打ちになっているのは何故かを考えなければならない
以前は現役進学率を4割に保とうとしていた→学力レベルの低下を懸念
5割を超えたらとめどなく増えるのではないかと予想していたが、実際には6割で頭打ち

大卒の収益率は相対的に下がっていない
生涯賃金は下がっているが、高卒のそれも下がっている
従って、相対的に下がっていない
故に、借金してでも大学へ進学した方が良いのに、進学率が伸びていない
世界的には高等教育へ進む率は高まっているが、東京で6割、東北は4~5割(?)

東北では、宮城のみが若干の流入超過→東北には可能性がある(?)

世界に比して
学部の留学生が伸びない
社会人学生が少ない

入学者数の確保
1.進学率を上げる→東北には伸び代がある
2.地域の(18才)人口を増やす→親の仕事を増やす
3.他地域から進学者を呼び込む
4.世界から進学者を呼び込む→難しい
5.社会人学生を増やす→難しい
6.600の大学に600の未来-ミッションの再定義

COCのポイント(難しいところ)
全学的にどう取り組むか
補助金後どう継続するか
地域連携は、大学の第三の機能(教育・研究・社会貢献)のデザインの問題ではない
大学のあり方自体を問い直す契機

大学の本質は職業教育ではない
学士力=汎用的能力+専門的知識・技能の再定義が必要ではないか
これまで
学士(○○学)←専門性の証明であり、これが古い考え方ではないのか
これから
学士=専門分野の履修を通じて汎用的能力を獲得したことの証明とする
すなわち学士課程とは、汎用的能力を中核とする学士力涵養の場

入試改革
ユニバーサル化→学力低下
その背景に学部教育の目的の変化がある=社会が求める汎用的能力(学士力)の育成

新しい大学像の模索
学問体系を具現化した「組織」としての大学から、「機能」としての大学
教育の目標・方法・評価のセットで見直しが求められている

社会的孤立の状況
友人・同僚・その他と滅多に付き合わない比率が高い日本
では、誰と付き合うのか?→家族
その家族が壊れ始めている=核家族→単独世帯

地域貢献から連携へ、連携から協働
(大学側)
学生が育つ姿を発見して初めて教員は本気になる
しかし、地域連携は教育実習ではない
大学が主役→「地域のために」を中心に
(地域側)
地域起こしに大学を巻き込む
そこで学生を育てるのは地域の大事な責任
地域が主役→「学生を育てるために」を中心に


<パネルディスカッション>

関心があること、頭を痛めていること、課題は何ですか?
リーダーシップの不足(地域を引っ張る人が減ってきた)
行政・民間の支援がなくなった時の地域の担い手が不足している
自治会の形成が減少している
学生時代に資格を取らせて欲しい
スマホ・タブレット普及の中で正しく判断できるのか?
インバウンドの準備が出来ているのか?
積極性・自主性・社会性が低下している

学生の育て方・地域にどんな人が必要か
コミュニティが外とつながっているかどうか、交流の度合い
大学は内と外をつなぐ役割に期待
文化的交流がコミュニケーションツールとなって地域と交流できる(内と外をつなぐ)
関心を持っている(意識が高い)学生とそうでない(意識が低い)学生の差が大きい

リーダーシップの質的要件
これまでのやり方を大事にしながら変わっていかなければならない
日本社会は雑談中心で協調性が重視されてきた→これからは対話中心
違うコミュニティと繋がる力
サーバントリーダーシップ(NPO法人 日本サーバント・リーダーシップ協会
対話型。多様な意見を聞いて導いていく
目立たないけど組織が動いていく

企業とつなぐ際に大事なこと
企業と地域・行政は異質
企業はマーケットに向き合っている。売上が上がるかどうか
地域は長期的に関係を持てるか。信頼できるかどうか
短期的成果(企業にとって大事)と長期的関係(地域にとって大事)の両方を考える

大学に期待するもの
エサ(単位)で釣ってでも地域と関わりを持たせ、体験させることによって意識が変わる
震災時、大学教員は目的と手段を取り違えて信頼を失った。本来、復興が目的のはずなのに、研究という目的のために手段として復興に取り組んでしまった

(感想)
いろんなパネリストがいて、それらの声をまず真摯に聞くことが多様化した現代社会においては必要なことなのかも。

<採択事業概要説明>
地域で学ぶ→地域と共に学ぶ
アクティブ・ラーニングによる知の創造
仮設検証型の考え方や動き方

以上

バッテリー上がり?

昨日の雪かきのせいか、帰り道、強風にあおられて運転にモノ凄く気を遣ったせいか、今朝は起きたら全身筋肉痛で、今日はジテ通やめて旧車の愛車で通勤しようと思っていたのだが。

キーをひねってもエンジンのCHECKランプが点灯したままで消えない。

あれ?

と思って、一応キーをさらに回してみたが、セルがキュルンとも言わない。
全然回らない。

あー
バッテリー上がりかなー

バッテリー、いつ交換したか聞いてなかったしなー
最近、すごく寒いしなー
あんま走ってないしなー

今度の休みは給排気系に手を入れようかと思ってたけど、その前に、計画外の出費だなー
仕方ないけどねー

ということで、今日もジテ通です。

(追記)
帰宅後、ブースターケーブル繋いでエンジンかけてみたら、無事かかったので、やっぱバッテリーだな。
ということで、早速バッテリーを注文しなきゃ。

2/15/2015

牧沢仮設

今日は久しぶりにボランティア活動。
学生たちに付き添ってワゴン車を運転し、気仙沼市赤岩牧沢にある市営テニスコート住宅、通称「牧沢仮設」へ行ってきた。

朝7時に大学を出発するというスケジュールだったが、未明に雪が降り、仙台市内でも数センチ積雪。少々不安を感じつつ出発したが、無事、10時頃現地に到着。今日は、本学災害ボランティアステーションの学生スタッフ5名と共に、雪かきとちらし寿司を作りにやってきた。

ふたてに分かれ、私は雪かき班に混じって、仮設住宅の日陰に分厚く張った氷を撤去する作業。スコップでは歯が立たず、バールを借りて氷を割り、それを撤去するという、なかなかハードな作業ではあったが、1時間半ほどで無事終了。昼食前の良い腹ごなし?となった。


その後は、集会所でちらし寿司班に加わわり、具材をご飯にのせる作業を手伝った。
ちらし寿司は、牧沢仮設に住む皆さんと一緒に作って食べる。


仮設住宅に住む方々とボランティア学生とで、卓球台のテーブルを囲み、楽しい昼食をいただいた。

このボランティア活動は、東北学院大学災害ボランティアステーションが定期的に行っている活動のひとつで、私は今回が初めてだったが、学生たちはほとんど毎月こちらにお邪魔しており、もうすっかり住民の皆さんと顔なじみといった様子。小さい子供もいて、食後に夢中になって遊ぶ様子は、正月に親戚が集まってはしゃいでいる様子に似ていた。

私は、震災直後から被災地に度々入り、本学の学生らと共に、瓦礫の撤去や汚泥の掻き出しなどを行ってきた。そうした「肉体労働」のニーズがなくなるとボランティア活動から離れ、例えば台風の被害にあった京都へ行ったり、土砂崩れ被害の広島に行ったりした。今回、初めて被災者の「心の復興支援」とも言える活動に加わり、その大きな意義を体験した。

学生にとっては、大学のキャンパスを飛び出し、大人(あるいは子供)と直接関わることによって得る経験は教室で学ぶことができない貴重なものだし、被災者にとっては、震災前から社会問題となっている小規模・高齢化集落の支援に繋がる新たな解決策のひとつだと言えるのではないかと感じた。

被災者側のことを詳しく述べる立場にないが、学生にとってこうしたボランティア活動は、自分たちで考え、準備し、実際に動いて相手(被災者)の反応を肌で感じ、反省して次に生かす、まさに社会に出たらすぐに行わなければならないことを実際に経験できるチャンスであり、まさにアクティブ・ラーニングによる学びの形であると言える。

正直言うと、瓦礫撤去等以降の災害ボランティア活動は、体のいい無賃金就労じゃないのかと思ったこともしばしばであった。もしかすると、中にはそういう悪質な依頼も実際にあるかもしれない。しかし、例えば仮設住宅の雪かきをしたり窓拭きをしたり、あるいはちらし寿司を一緒に作って一緒に食べたりという活動は、お年寄りがほとんどである仮設住宅に住まわれる方々にとっては、まさに支援であり、老若男女が共に生きる社会にとっては、当たり前のことだと言える。

現代社会においては、様々な問題が起こりうるので単純なことではないが、今日、学生たちの活動に付き添って、私自身の考え方が大きく変わった。これからは、こうした活動のサポートも積極的に行っていきたいと思う。