すっかりサボり続けて、2ヶ月ぶりの投稿です。
サボり続けて…というのは正確ではなくて、この2ヶ月、というか、それ以前からも投稿数が減っちゃったのは、ブログ等で公表できない事柄に支配されてしまって自分自身をコントロールできなくなってしまっていたから。
だと思われます。
まぁ、ちょっとメンドクサク感じてたのも確かにあるけど。
それで、自分自身を取り戻すというと大袈裟だけど、ブログには書けないことは当然ある訳だけど(仕事のこととかね)、日頃感じたこと気になったことなどを再び勝手気ままに綴っていこうかと。
さて、
昨日までの3日間、学生たちが雄勝町でボランティア活動をするというので、マイクロバスの運転手として参加してきた。
活動の中心となるのは、震災前から行われていた灯籠流しのお手伝い。震災によって激減した現地住民に代わって灯篭を作り、片付けまでを行う。
私は、雄勝町は初めて。
遠目には、海と山が共存する美しい風景だが、足下に目を移すと、津波が全てを持ち去った痕跡がはっきりと残っている。
今回の活動は、東北学院大学の学生だけでなく、他大学からも学生を募って行う夏休み企画のひとつ。中心となる運営スタッフは本学の学生で、参加学生はおよそ30人。付き添うオトナは私を含めて3人。できるだけ学生の主体性を生かした活動を目指したが、なかなか良い活動だったと思う。
私は、できるだけ目立たないように活動した。それが良いのか悪いのかは分からないが、とりあえずそうしようと思った。
他大学の企画するボランティア活動では、コーディネーターや臨床心理士(だったかな?)が同行して、事前に「講義」を行ったり、様々なケアを準備する場合もあるようだが、本企画では、運営スタッフである学生がそうしたサポートも受け持つ。せっかくそうした企画に参加するのだから、付き添うオトナが目立ってしまっては本末転倒かと。公序良俗に反しない限り、彼らの方針を最大限認めて付き添った。
それによって、私自身には多少のフラストレーションは生じたが、まぁ、学生たちの成長の糧になったと思えば諦めもつく。
今回、初めて「語り部」と言われる方の話を聞いた。
鬼気迫る話ぶりに多くの学生たちが涙を流していたが、私にとっても衝撃的だった。
その方は母親と祖母を亡くしたのだが、母親の死因は凍死。つまり、津波からは生き逃れたのに、その日の晩の寒さには耐えられなかった。そしてさらに、他人と間違われて引き取られ、何と火葬までされてしまっていたとのこと。
津波によって、本人確認が難しい場合もあるという話は聞いたことがあったが、既に火葬されお骨になってしまってから再会できた場合があったとは。どんな姿であっても、一目会いたかっただろうに。胸が苦しくなる。
それから、今回、初めて大川小学校を訪れた。
児童・教職員の大半が津波の犠牲となった場所だ。
今もなお、当時のまま校舎が残っていて、津波の破壊力を私たちに静かに語りかけていた。
震災発生から4年5ヶ月。
あらためて、お亡くなりになった方々のご冥福をお祈りします。
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8月14日東北学院大学ボラステの皆さんに防災教育を実施!