12/31/2015

走り納め

平成27(2015)年の大晦日。
仙台は風もなく穏やかで、空気はさすがに冷たいが、日向にいると暖かさを感じる。

昨夜の酒が抜けた昼過ぎに、今年の「走り納め」に行ってきた。
どこを走ろうかほんの少しだけ迷ったが、走り納めなのでやっぱり「ホームグラウンド」?である森林公園へ。

ホームグラウンドと言いつつ、久しぶりの森林公園。10月末以来、2ヶ月ぶりの森林公園は、雪こそ無いがすっかり冬の様相。枯葉も踏み砕かれて、ちょうど良い柔らかさの絨毯のようだった。

…のだが、
先日、八木山へ走りに行った際に捻挫した右足首が、寒さのせいもあってか痛みだし、連動して古傷の膝、そして腰へと痛みの連鎖が。

まぁ、これはいつものことなので、痛みの程度を感じ取って、悪化しないようにペースを保って走り続けた。

走りながら今年の反省。
昨年(2014年)は5月の仙台ハーフマラソンで無念の途中失格となり、一気にラン熱が冷めた…というか落ち込んでしばらく走れなくなった。引退か?リベンジか?などとクダラナイことばかり考えて無駄に時間を過ごした。

年が明けて、今年(2015年)になってもなかなか走る気になれず、練習不足で臨んだ今年の仙台ハーフマラソンだったが、iPhoneアプリrunmeterによると2時間16分56秒という好タイム?で何とか完走でき、まさかのリベンジを果たすことができた。

しかし、何かと忙しかったこともあって走る機会は減る一方。
そんな中エントリーした10月の松島ハーフマラソン10kmの部では、目標だった1時間切りを達成(57分台でゴールした。自分でもビックリ!)。浮かれて走る機会も増えるかと思ったが、そんなこともなく、走り始めたここ数年で最も少なかった去年より、今年はさらに100km以上少ないランニング距離で走り納めることと相成りました。


今年は50歳となり、字面や響きからも「老い」を感じることが増えた気がしたが、来年は51歳、Area51みたいでカッコいいから何となく頑張れそう…などとバカなことを考えながら大晦日を過ごしております。

今年も一年間、ありがとうございました。

12/30/2015

32期会

Kayaksの最も苦しい時期を支えてくれた第32期。
苦しい時期を支えただけでなく、東北学生一部リーグ昇格の足がかりとなった部員増員のヒントをくれたのも、第32期。私にとって最も思い出に残る学年のひとつであることに間違いない。

その32期会に招待され、仙台三越向かいの山の猿一番町店で昼食をいただいてきた。
よく試合会場で見かける顔もあるが、5〜6年ぶりに会う顔もあり、懐かしく感じつつも、つい数日前にも一緒に練習していたような錯覚に陥る不思議な感覚だった。

彼らが今年30歳の年だということを知り、私とはちょうど20歳離れているということが分かった。なので、彼らが学生の頃、10年前は私も40歳そこそこで、まだまだ血気盛んなお年頃。無茶な要求もしたっけなぁーと心の中で大いに反省しつつ、大人になった彼らとの会話を楽しんだ。

先週末は、35〜38期あたりのメンバーと飲んだのだが、彼らはKayaksが二部から一部へ昇格していく上り調子の時をチームで過ごした。彼らもまた、印象的な世代だと言える。私にとっても、監督としてのキャリアの終盤にあたり、自分でいうのも何だが、円熟味のある指導(=拳に頼らない指導、とも言う)ができていたと思う。しかし、32期が現役の頃は、チーム状態もまだどん底状態で、私の指導力も全く無かったと言っていいほどだった。

それが、32期とその前後のメンバーたちと出会い、共に練習を続けていく中で、私も指導者として成長させてもらい、チーム状況も大いに好転していった。クドいようだが、それほど彼ら32期がKayaksに与えた影響、貢献は計り知れないほど大きい。

そんな彼らの同期会に招待いただき、短い時間ではあったが再び時間を共有することができて、私は本当に嬉しかった。

今日は32期の全員が集まることは出来なかったのだが、代わって、将来Kayaksで活躍するであろう若き勇者がふたり、出席してくれていた。

正確な手の形で吸い寄せるようにボールをキャッチしている子は何とまだ生後7ヶ月。その隣でしっかりマンツーマンでカバーしているお兄ちゃんは6歳。きっとふたりとも、日本を代表するフットボール選手に成長することだろう。


残念ながら、弟君がKayaksに入部してくる頃、私は既に定年していて大学にはいないが、陰ながら彼らふたりの活躍を応援していることだろう。

みんな、今日は本当にありがとう。
勝、浩子ちゃん、かわいい息子たちと毎日楽しく、そして元気いっぱいに育ててKayaksに送り込んでください。期待しています。
晃平、試合会場ではたまに会えるが、久しぶりにゆっくり話せて良かった。
順彦、いつも審判として活躍してくれてありがとう。近いうちにまたルールを教えてください。

12/27/2015

拡大 旭ヶ丘会

近所に住むKayaksの後輩と「旭ヶ丘会」と称してたまに飲んでいるのだが、昨夜はその後輩の新たな旅立ちを祝して「拡大 旭ヶ丘会」を、旭ヶ丘を飛び出し、一番町の「寿寿」で行った。

いつもは4〜5人の旭ヶ丘会だが、昨夜は15〜16人も集まっただろうか。
近況を報告しあう中で、その後輩以外にも、新たな道を歩み始めている者、これから歩み始める者もいて、皆それぞれ大人の顔になって頑張っている様子をうかがえて楽しくもあり、頑張れと応援したい気持ちにもなった。

写真はせり鍋。
2〜3度食べたことがあるが、これって昔からある食べ方だろうか?せりの根っこなんて食べたことなかったけどなぁ。


鶴岡市や十和田市、富士山麓から駆けつけてくれた後輩もいて、もっともっと話をしたかったが、彼らが学生だった頃のようには時間はない。短い時間しか話ができず、少し寂しい感じもするね。


二次会は、定番のタカシの店。
タカシ、異動してたんだな。ということで、ここは初めてだったけど、いい感じのだった。




12/26/2015

八木山行ってきた、けど

この数日見当たらなくなっていたお気に入りのオレンジ色のボールペン(インクは黒です)が見つかった。いい気分になり、C3Xを飲んで素早く着替え、ジテ通用の愛車TREK 7.5FXに乗って行きつけの自転車屋へ。

実はこのところ前後のディレイラー(変速機)の調子が悪く、特に前はインナーに落とすとなかなかアウターに戻ってこない。後ろも数段飛ばしで変速したり、段差を乗り越えた衝撃で変速したりとめちゃくちゃ。

あと、ブレーキの効きも悪くなっていて、特に前はリムにシューがちゃんと当たらなくなっていた。

それで、上杉にある自転車屋へ乗って行って、前後ディレイラーの調整と前後ブレーキの調整をお願いした。前ブレーキはシューの減りがあるので交換した方が良いとのことで交換をお願いした。

さて、修理の間、待っているのももったいないので、とランニングへ。もちろん、そのためのC3Xであり、着替えたのももちろんランニングウェア。

とりあえず走り出し、さてどこ行こう?
榴ケ岡公園でも行くか?でも自宅からでも行けるし、せっかく上杉からだからもっと遠くへ。

あ、久しぶりに「八木山一周」行くか!

ということで、学生時代の基礎トレで走り慣れた?「八木山一周」へ行くことにした。

上杉から南下し、広瀬通を西進して青葉城址へ。
久しぶりに行ってみたら、柱の土台のようなものがたくさんあった。
写真で遠くに見えるのが伊達政宗像。手前に並んでみえるのがその土台のようなもの。
ここもいろいろ手を入れているんだな。


青葉城址を突っ切って、八木山橋を渡り、最後の坂を登りきってベニーランドへ。
賑わってるかと思ったら、営業してなかったみたい。

その後、東北放送から東北工大、向山高校を通って坂を下りおり、突き当たったら左折して霊屋方面へ。花壇から上がって、あとは赤信号に合わないようにジグザグに走って上杉に戻ってきた。

10月の松島マラソン(10kmの部)を走ってから、2〜3週間に一度のペースでしか走っておらず、しかも3〜4km、長くても7〜8kmしか走ってこなかったので、今日は頑張ったぞーと思ってiPhoneのアプリ「runmeter」をチェックしたら…

なんとiPhoneの電源が切れてる!!!
なんでや!?
と思って電源入れてみたら、案の定というか当然のことながら、runmeterもストップしてた。

11:48に走り出したのだが、12:22、青葉城址付近で止まってる。


あー
青葉城址の写真を撮ったところで電源切れちゃったのかー

4s、調子悪かったからなー
メモリ足りないのかなー

参ったなー

記録のために走ってるワケじゃないけど、記録は励みになってるんだよねー
心砕けるー

(しかも、自転車もブレーキは直ったけど、ディレイラーの調子は悪いまま。参ったー)

12/25/2015

女川カレーラーメン(小渕浜ボランティア)

12月20日(日)、学生たちと小渕浜へ行ってきた。東北学院大学災害ボランティアステーションによる漁業支援。旧牡鹿町の小渕浜へ行くのは、これで4回目かな。

最初に行ったのは今年3月末。
寒い中、ワカメの収穫作業の手伝いで単純ながらキツイ作業だった。

2回目は8月末。
「夏ボラ」と呼ばれる夏休み中のイベントで、全国から集まった大学生をマイクロバスに乗せて行った。この時は比較的簡単な作業だったけど、マイクロバスの運転はやっぱり気疲れしたなぁ。

3回目は11月下旬。
強風が吹き荒れる中、屋外の作業で寒かったけど、作業しているうちにあったかくなってきた。「殻こ刺し」と言われる作業を初めてやった。牡蠣の養殖に使う、ホタテの貝殻を針金で繋げる作業だ。

そして、今回、12月が4回目の小渕浜。
少し風があって海に出れないと漁師さんが言ってたが、前回11月の強風に比べれば穏やかで暖かだった。作業は比較的軽微な作業。しかも、日帰りだったので、体にはラクだった。

11月の時にもあったが、来年2月に企画しているイベントの打ち合わせを兼ねていたのでミーティングの時間もあり、私は付き添って、現地の方々とボランティアステーション学生スタッフの話し合いを見守った。

学生スタッフたちはしっかりしているし、「夏ボラ」や大学祭の企画運営を経験しているので、下手に私が口出しするより任せた方がずっといい。大学職員として知っている部分あるいはマイクロバスのドライバー(2月のイベントではまた運転する予定)として必要なことをほんの少し話す程度で十分打ち合わせは成り立つ。

今回、現地の方の計らいで、女川町に昼飯を食いに行った。
女川も震災の津波で町は壊滅的被害を受けた。
実は、2007年にKayaksの夏合宿で女川町を訪れており、ずっと気になっていたのだが、逆にそのこともあって行きづらい気持ちにもなっていた。今回、図らずも女川町を訪れる機会を得て、有り難かった。

現地の方と学生数名をワゴン車に乗せ、コバルトラインを通って女川へ。
よく晴れて、海がとても綺麗だった。


現地の方は、「きぼうのかね商店街」という女川の仮設商店街に案内してくれたのだが、お目当の店が生憎貸切で、他の店も行列ができて入れなそう。
それで、急遽近くの「金華楼」へ。


震災前は確か海のそばにあったはずだが、今はもちろん海から離れ、住宅地の中にある。
で、何を食べようか迷い、有名なうにラーメンも気になったが、ここはせっかく女川に来たからと「女川カレーラーメン」。


初めて聞いたけど、女川カレーというのは結構有名らしい。それのラーメン版。
野菜たっぷり、シイタケたっぷり、カレー自体はやや薄味で麺は細麺。カレーラーメンというもの自体、それほどメジャーじゃないと思うが、寒い日にはこれもアリだな、と思った。

さて、女川の町の様子。
写真は撮らなかった。撮れなかった。
けど、2007年の夏合宿で泊まった旅館も、夜にこっそりスイーツを買いに行ったコンビニも、朝の体操をした広場も、全部何もかも無くなっていた。

練習したグラウンドは高台にあり、今回は寄らなかったがおそらく残ってはいるのだろう。ただ、総合運動施設だったそこは、震災当時遺体安置所になったと聞いた。

今は何もない状態の女川だが、新しい街づくりを進めている最中なのだろうか。あるいは、もうあそこには人は住めないように規制されてしまったのだろうか。日曜だったこともあって、街は静かに休んでいる様子だった。

昼飯を終えて戻った牡鹿、小渕浜周辺もまた、街に活気はもどってきたとは言え、震災の爪痕はまだまだたくさん残っている。

津波被害を受けずに残った立派な家だと思っていた家が、反対側から見たら津波の影響で割れた窓ガラスがそのままだったり、一階での生活は未だできず、二階でだけ生活していたり、実際に現地に行っても、見る目がなければ見えないものがたくさんあるということに改めて気付かされた今回の小渕浜漁業支援ボランティアだった。

<2007年の夏合宿の様子>
夏合宿1日目
夏合宿2日目
夏合宿3日目
夏合宿4日目(最終日)