最初に行ったのは今年3月末。
寒い中、ワカメの収穫作業の手伝いで単純ながらキツイ作業だった。
2回目は8月末。
「夏ボラ」と呼ばれる夏休み中のイベントで、全国から集まった大学生をマイクロバスに乗せて行った。この時は比較的簡単な作業だったけど、マイクロバスの運転はやっぱり気疲れしたなぁ。
3回目は11月下旬。
強風が吹き荒れる中、屋外の作業で寒かったけど、作業しているうちにあったかくなってきた。「殻こ刺し」と言われる作業を初めてやった。牡蠣の養殖に使う、ホタテの貝殻を針金で繋げる作業だ。
そして、今回、12月が4回目の小渕浜。
少し風があって海に出れないと漁師さんが言ってたが、前回11月の強風に比べれば穏やかで暖かだった。作業は比較的軽微な作業。しかも、日帰りだったので、体にはラクだった。
11月の時にもあったが、来年2月に企画しているイベントの打ち合わせを兼ねていたのでミーティングの時間もあり、私は付き添って、現地の方々とボランティアステーション学生スタッフの話し合いを見守った。
学生スタッフたちはしっかりしているし、「夏ボラ」や大学祭の企画運営を経験しているので、下手に私が口出しするより任せた方がずっといい。大学職員として知っている部分あるいはマイクロバスのドライバー(2月のイベントではまた運転する予定)として必要なことをほんの少し話す程度で十分打ち合わせは成り立つ。
今回、現地の方の計らいで、女川町に昼飯を食いに行った。
女川も震災の津波で町は壊滅的被害を受けた。
実は、2007年にKayaksの夏合宿で女川町を訪れており、ずっと気になっていたのだが、逆にそのこともあって行きづらい気持ちにもなっていた。今回、図らずも女川町を訪れる機会を得て、有り難かった。
現地の方と学生数名をワゴン車に乗せ、コバルトラインを通って女川へ。
よく晴れて、海がとても綺麗だった。
現地の方は、「きぼうのかね商店街」という女川の仮設商店街に案内してくれたのだが、お目当の店が生憎貸切で、他の店も行列ができて入れなそう。
それで、急遽近くの「金華楼」へ。
震災前は確か海のそばにあったはずだが、今はもちろん海から離れ、住宅地の中にある。
で、何を食べようか迷い、有名なうにラーメンも気になったが、ここはせっかく女川に来たからと「女川カレーラーメン」。
初めて聞いたけど、女川カレーというのは結構有名らしい。それのラーメン版。
野菜たっぷり、シイタケたっぷり、カレー自体はやや薄味で麺は細麺。カレーラーメンというもの自体、それほどメジャーじゃないと思うが、寒い日にはこれもアリだな、と思った。
さて、女川の町の様子。
写真は撮らなかった。撮れなかった。
けど、2007年の夏合宿で泊まった旅館も、夜にこっそりスイーツを買いに行ったコンビニも、朝の体操をした広場も、全部何もかも無くなっていた。
練習したグラウンドは高台にあり、今回は寄らなかったがおそらく残ってはいるのだろう。ただ、総合運動施設だったそこは、震災当時遺体安置所になったと聞いた。
今は何もない状態の女川だが、新しい街づくりを進めている最中なのだろうか。あるいは、もうあそこには人は住めないように規制されてしまったのだろうか。日曜だったこともあって、街は静かに休んでいる様子だった。
昼飯を終えて戻った牡鹿、小渕浜周辺もまた、街に活気はもどってきたとは言え、震災の爪痕はまだまだたくさん残っている。
津波被害を受けずに残った立派な家だと思っていた家が、反対側から見たら津波の影響で割れた窓ガラスがそのままだったり、一階での生活は未だできず、二階でだけ生活していたり、実際に現地に行っても、見る目がなければ見えないものがたくさんあるということに改めて気付かされた今回の小渕浜漁業支援ボランティアだった。
<2007年の夏合宿の様子>
夏合宿1日目
夏合宿2日目
夏合宿3日目
夏合宿4日目(最終日)
2007年の合宿、あの頃の写真を拝見してとても懐かしく感じました。あの頃とは本当に大きく街並みが変わってしまいましたね。それでも、復興に向かって前進している様子が伝わってきます。せめて節目の時だけでも足を運びたいと思っています。
返信削除ちなみに、あの時に練習したグラウンドは現在人工芝になっています。おそらくコバルトーレ女川の練習が行われているのでしょうか。復興の進捗が嬉しい一方で、思い出のある場所が変わることに寂しさを覚えます。
ほんの数日の合宿だったけど、その後のKayaksの礎を作ったと言える合宿だっただけに強く印象に残っていたし、宿舎周辺の街並みもよく覚えていただけに、津波による被災には殊更衝撃を受けました。
削除あのふかふかの走りづらいグラウンドは人工芝になってたんだね。またみんなで訪れてみたいものです。