私は私立大学の事務職員(以下、職員)になって今年で25年になるが、四半世紀過ぎて最近特に気付かされるのが、大学において教員は政治家で職員は役人であるということ。意思決定するのは教員であって、職員は決められたことをただ実行するだけ、ということ。
そうでない大学も当然あるだろうから、本学において、という前置きが必要か。
いや、最近になるまでそこまでハッキリは感じなかったから、今の部署が殊更そうなのかもしれない。
というか、単に役人(職員)の話を聞かない政治家(教員)が多くなった、というべきか。いや、政治家に物申す役人がいなくなった、というべきか。それを最近、ひしひしと感じる。
馬鹿みたいにブログで職場批判するつもりはさらさらない。
ただ、こうして文章にすることで自分の考えをまとめることができるし、こうしてブログで公開することで様々な方からご意見を頂戴することもできる。そうしたことを期待していることをまずお断りしておく。
さて、政治家は選挙によって議員になり、任期を終えるとまた選挙によって選ばれなければならない。一方役人は、試験を受けて採用され、基本的には定年で辞めるまでずっと役人である。
本学においても、教員は各種委員や事務部長職に2年程度の任期制で就任するが、職員は異動によって配属が替わることはあっても一般的にスパンは教員の任期よりもずっと長い(5年~8年程度)。
当然、その仕事における専門的な知識や経験は役人、すなわち職員の方が豊かであるのは言うまでもない。
では、なぜ政治家が意思決定するのかというと、物事を決める際に民意を反映させるためというのがその理由であろう。
だが、本学においては別に選挙が行われている訳ではなく、選任方法についてオープンとなっているとは言い難い。全くその業務に携わったことがない教員がある日突然部長になることもあり、知識や経験が無いのに次々と意思決定していく。職員はただそれに従うだけ。
私は、教員が政治家で職員が役人であるということを否定しない。
思い出してみると昔からそうだった。
しかし、私が新人職員だった頃、政治家(教員)は自分が素人であることを自覚し、知識と経験が豊富な役人(職員)に意見を求めたり、役人も場合によっては政治家にNoと言ったりして、お互い誇りと自信を持って仕事に当たっていた。
若い私はそうした光景を見て、この大学事務という仕事が誇るべきものであると感じ、教員と職員は車の両輪として互いに大学を支えていくのだと、意気に感じたものだった。
しかし、残念ながら今はそれを感じることができない。
考え方が違ってきているのか、最初に書いたとおり、教員が決めたことをただキチンと実行するのが職員の仕事、という考え方になっている気がする。
それもまた否定はしないが、その意思決定に職員が僅かも関わることができない、いや、例え関わっても全く受け入れてもらえないということでは、熱心に仕事に取り組むというのは難しい。
さて、一体どういう風に考え方を変換させれば、以前のように誇りを持って働けるようになるのだろうか?
職員の怠慢の結果、ではないでしょうか。何も考えないで「○×部長が言ったから」が判断基準。
返信削除職場批判をしても仕方が無い、というのはおっしゃる通りだと思います。この悪循環を断ち切るために、たとえすぐには変わらなくても変わる努力をし続けるのが職員の義務であり、それが社会的責任を果たすということにつながると考えています。これをくじけずに続けていくために、先輩、後輩、他部署の方々とのつながりを深めたく、リレーマラソン、楽しく、よろしく、お願いいたします!
励ましコメントありがとう。
削除若干疲弊気味で変わる努力を続けられるかどうか自信が無いけど、気合いぶっこんで頑張ります!
リレマラもよろしく~♪