5/24/2018

規律

日本大学アメリカンフットボール部の選手が関西学院大学アメリカンフットボール部との定期戦で犯した悪質で極めて危険な反則プレーがますます大きな社会問題と化し、朝昼晩のニュースやワイドショー番組でトップニュースとして扱われている。

悪いことは悪いし、それから日大の監督・コーチ、そして日大職員の対応も信じられないぐらい悪いが、私が気になるのは、体育会の上下関係だとか、昭和の指導だとか、監督に絶対服従なことだとかが、悪いものとして一方的に排除されつつあるのが悲しいし疑問である。

決してそれらが良いと言うつもりもないが、フットボールにおいて規律(discipline = 鍛練による規律正しさ)は最も重要な要素であり、この規律を身につけるのに、絶対的な存在である指導者は「悪」ではないと思っている。

ただし!
会話によって絶対的な存在になるべきであって、殴ったり蹴ったり暴言を吐いたり干したりして絶対的になっても意味が無い。

圧倒的な経験と知識と忍耐力を持ち、何時間かけてでも選手を心から納得させて厳しい練習に立ち向かわせることによりdiscipline=規律あるチームづくりが可能になる。その中では、ある程度の上下関係は必要だし(社会にだって上下関係は明確に存在する)、大学スポーツは聖域ではないのだから、社会の縮図として、理不尽なことも必要悪として残しておくべきだと私は思う。

もちろん、今回の極めて悪質な反則プレーに関する一連の問題を肯定するつもりは1ミリも無い。

そうではなく、上下関係や昭和の指導、絶対服従はダメですよ、とか言って、なぁなぁな態度でフットボールに取り組むのなら、そっちの方がもっとダメ! 許せない! ということ。

必死に練習し、試合中の全てのプレーを必死に、死ぬ気でやるのは当たり前のこと。スポーツというのは元来そういうものだ。戦争の代わりに死なないようにルールを決めて「代理戦争」をしているわけだから、怪我しないように、安全安心で気持ちよく楽しくやりましょう、などというのだけでは物足りない。規律正しく、チームの勝利に向けて自分を犠牲にし、相手に尊敬の念を抱いて自らの限界までチャレンジする、それがスポーツのあるべき姿だと思う。

少なくとも、私は私の後輩たち、それからかつての教え子たちにそこのところは間違って欲しくない。大学にまできて、何のためにアメリカンフットボールをやっているのか、やったのか、そこから学ぶもの学んだものは何に活かせるのか、活かせるようになるにはどうしたらいいのか。おもしろおかしく長引かせようとしているマスコミに振り回されることなく、現役選手たちには、リーグ内の誰よりも強くなるにはどうしたら良いのか、ということに真剣に取り組んで欲しいと心から願っている。

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