5/06/2016

備忘録(嫌われる勇気)

(要約等ではありません。完全に個人的な備忘録で、個人的メモも混在します)

30
たとえば大きな災害に見舞われたとか、幼いころに虐待を受けたといった出来事が、人格形成に及ぼす影響がゼロだとはいいません。影響は強くあります。しかし大切なのは、それによってなにかが決定されるわけではない、ということです。われわれは過去の経験に「どのような意味を与えるか」によって、自らの生を決定している。人生とは誰かに与えられるものではなく、自ら選択するものであり、自分がどう生きるかを選ぶのは自分なのです。

76
われわれを苦しめる劣等感は「客観的な事実」ではなく、「主観的な解釈」

92
健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれる

われわれは「同じではないけれど対等

93
いまの自分よりも前に進もうとすることにこそ、価値がある

107
わたしは正しい。すなわち相手は間違っている。そう思った時点で、議論の焦点は「主張の正しさ」から「対人関係のあり方」に移ってしまいます。つまり、「わたしは正しい」という確信が「この人は間違っている」との思い込みにつながり、最終的に「だからわたしは勝たねばならない」と勝ち負けを争ってしまう。

そもそも主張の正しさは、勝ち負けとは関係ありません。あなたが正しいと思うのなら、他の人がどんな意見であれ、そこで完結するべき話です。ところが、多くの人は権力争いに突入し、他者を屈服させようとする

134
賞罰教育の先に生まれるのは「ほめてくれる人がいなければ、適切な行動をしない」「罰する人がいなければ、不適切な行動もとる」という、誤ったライフスタイルです。ほめてもらいたいという目的が先にあって、ごみを拾う。そして誰からもほめてもらえなければ、憤慨するか、二度とこんなことはするまいと決心する。明らかにおかしな話でしょう。

136
承認されることを願うあまり、他者が抱いた「こんな人であってほしい」という期待をなぞって生きていくことになる。つまり、ほんとうの自分を捨てて、他者の人生を生きることになる。(承認欲求の話)

137
他者から承認してもらおうとするとき、ほぼすべての人は「他者の期待を満たすこと」をその手段とします。適切な行動をとったらほめてもらえる、という賞罰教育の流れに沿って。しかし、たとえば仕事の主眼が「他者の期待を満たすこと」になってしまったら、その仕事は相当に苦しいものになるでしょう。なぜなら、いつも他者の視線を気にして、他者からの評価に怯え、自分が「わたし」であることを抑えているわけですから

183
「他者からどう見られているか」ばかり気にかける生き方こそ、「わたし」にしか関心を持たない自己中心的なライフスタイルなのです。

185
「わたし」は、世界の中心に君臨しているのではない。「わたし」は人生の主人公でありながら、あくまでも共同体の一員であり、全体の一部なのです。

227
自己受容とは、(中略)「できない自分」をありのままに受け入れ、できるようになるべく、前に進んでいくこと (ありのままを受け入れるだけではない↓)

229
ありのままの「このわたし」を受け入れること。そして変えられるものについては、変えていく”勇気”を持つこと。それが自己受容です。

「ニーバーの祈り」
神よ、願わくばわたしに、変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気と、その違いを常に見分ける知恵とをさずけたまえ」

われわれはなにかの能力が足りていないのではありません。ただ”勇気”が足りていない。すべては”勇気”の問題なのです。

231
他者信頼
他者を信じるにあたって、いっさいの条件をつけないこと

233
裏切るか裏切らないかを決めるのは、あなたではありません。それは他者の課題です。あなたはただ「わたしがどうするか」だけを考えればいい (裏切られることを心配して信頼しないのではない)(もし裏切られたら↓)

235
悲しいときには、思いっきり悲しめばいいのです。痛みや悲しみを避けようとするからこそ、身動きが取れず、誰とも深い関係が築けなくなるのですから。

237
他者貢献
仲間である他者に対して、なんらかの働きかけをしていくこと。貢献しようとすること。

242
ありのままの自分を受け入れる--つまり「自己受容」する--からこそ、裏切りを怖れることなく「他者信頼」することができる。そして他者に無条件の信頼を寄せて、人々は自分の仲間だと思えているからこそ、「他者貢献」することができる。さらには他者に貢献するからこそ、「わたしは誰かの役に立っている」と実感し、ありのままの自分を受け入れることができる。「自己受容」することができる。

247
対人関係がうまくいかないのは、(中略)自己受容や他者信頼、または他者貢献ができていないことが問題なのに、どうでもいいはずのごく一部にだけ焦点を当てて、そこから世界全体を評価しようとしている。それは人生の調和を欠いた、誤ったライフスタイルなのです。

271
われわれはもっと「いま、ここ」だけを真剣に生きるべき

過去にどんなことがあったかなど、あなたの「いま、ここ」にはなんの関係もないし、未来がどうであるかなど「いま、ここ」で考える問題ではない。

272
いまできることを真剣かつ丁寧にやっていく

275
人生における最大の嘘、それは「いま、ここ」を生きないこと

278
一般的な人生の意味はない
人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ

280
「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、なにをしてもいい。嫌われる人には嫌われ、自由に生きてかまわない。

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