3/06/2017

第5回被災地ウォークinおがつ

3月5日(日)午前10時から「第5回被災地ウォークinおがつ」が行われ、東北学院大学災害ボランティアステーションの学生スタッフ・ボランティア学生らと運営のお手伝いに行ってきた。

オーリンクハウス(O-LINK HOUSE)という民営公民館に集合し、運営委員長である雄勝診療所の小倉先生のご挨拶で開会。途中、語り部の話を聞きながら、およそ2kmの道のりを歩いた。


最初の語り部は、雄勝病院跡地で。
当時雄勝病院で看護師をしていたが、震災当日は休みだった方のお話しを聞いた。
海の目の前にあった3階建ての雄勝病院は、屋上まで津波が押し寄せ、医師・スタッフ・入院患者ら60名余が亡くなったとのこと。


震災直後の写真パネルを掲げているのは、本学災害ボランティアステーションの学生スタッフやボランティア学生たち。参加者たちは献花をし、次の目的地へ向かって歩いた。

狭い歩道を歩くので長い列になる。


盛り土がされて土地のかさ上げ工事が今も行われている真っ最中。
ここには確か復興住宅が建設予定だとか。手前の方には商店街が作られる計画らしい。


その後、「店こ屋街」向かいの空き地で、当時中学生だったという男子大学生の話を聞いた。震災当日は卒業式だったとか。
海抜15mのところに家があったが、それでも2階まで津波が押し寄せたという。


店こ屋街で小休止。
熱いお茶やココアを参加者に提供するのは、本学災害ボランティアステーションの学生スタッフたち。


店こ屋街の八百清(やおせい)さんは、この3月で店じまいだそう。


続いて、新山(にいやま)神社前で語り部さんの話を聞く。
ここは、すぐ隣が雄勝小学校跡地(写真の左側)。語り部さんは、佐藤麻紀さんといって、一昨年の夏に雄勝を訪れた際にもお話を伺ったことがある。今回の話は、時間の都合もあって後半は端折られていたが、それでも胸に深く突き刺さる言葉だった。


下の写真は、上の新山神社の赤い鳥居が写った写真のすぐ左側。白い車の上半分が写っているが、この車は上の写真で参加者が立っている地面に駐車している。写真だと分かりづらいが、車の奥の方は急な斜面になっていて、その上が林になっている。そのうちの一本に赤いテープが貼られていて、その高さまで津波がやってきたのだという。見えづらいので赤い矢印で記してみた。


写真だと分かりづらいが、立っている地面からかなりの高さである。
津波は、ちょろちょろと地面を這って矢印のところまで上ったのではなく、矢印の高さが「海面」になったである。つまり、私たちが立っている地面は、深さ10数メートルの「海底」になったということ。東日本大震災による津波の猛威をほんの僅かでも感じることができて、改めて身震いした。

一昨年の夏に来た際には、この木のあたりまで上ってみた。
かなり急な斜面で、小学生が上るのは大変だったろうと思う。
でも、写真の左手にあった雄勝小学校の児童たちはこの斜面を駆けあがり(小学校に残っていた児童たちは)津波の犠牲になることはなかったらしい。

被災地ウォークinおがつの終点は、雄勝ローズファクトリーガーデン。
ここで最後の語り部として登場したのは、本学学生のルっちゃん。震災以前の話から未来に向けての言葉を語ってくれた。


その後、伊達の黒船太鼓の力強い迫力の演技を見、


ガーデン内で、ダ・カーポの優しい歌声に耳を傾けた。


参加者の皆さんにはアンケートの記入をお願いしていて、回収には、本学災害ボランティアステーションの学生スタッフたちが活躍してくれた。


そして、あったかい「めかぶスープ」をいただく。


めかずを細切りにし、卵をとじた出汁のスープでいただく。冷えた身体にしみて実に美味かった。


今回のイベントにはNHKが取材に来ていて、インタビューを受ける学生スタッフもいた。


先月訪れた際に積み上げ始めた、ガーデン移転先の石垣。思ったより早く作業が進んでいてビックリした。



被災地ウォークとは別に、この石垣の上にラベンダーを植える作業を頼まれた学生たち。
千葉大学園芸学部の皆さんと一緒に、作業を進める。



そして最後は、うまく植えられたぜ、のどや顔で記念撮影。ラベンダーの花が咲くのが楽しみだ。


作業を終えて帰仙する途中、3.11が近いこともあって、学生たちに大川小学校へ立ち寄ること提案した。もしかしたら、余計なことだったかもしれない。予定にないことで、行きたくない学生もいたかもしれない。難しい判断だったと思うが、学生スタッフのリーダーも立ち寄ることに賛成してくれた。10分ほどの滞在だったが、今も当時のまま残る校舎を間近に見、亡くなられた方々に思いを寄せ、慰霊碑に祈った。

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