8/17/2015

交通ルール・マナーを守りましょう

先週、2泊3日で雄勝町へ学生たちのボランティアの付き添いで行ってきたのだが、ちょうどお盆と重なっていたため、帰路の高速道路で渋滞にあってしまった。

とあるジャンクションで渋滞から抜け出せたのだが、そのジャンクションで左端の路肩を走る乗用車に危なく追突されそうになった。

こちらは左側の走行車線から、左に進路を取っただけなのに、路肩を走る乗用車が無理やり私が運転するマイクロバスの進路を塞いで割り込んできたのだ。

見れば、運転していたのはイイ年をしたおっさんで、隣に奥さんらしき人を乗せていた。

やむを得ず急がねばならない事情があったのかもしれないが、あんたのせいでこっちが巻き添えを食ったかもしれないんだよ。年を重ねたら、そんなバカなことせず(若い諸君も、だね)ルールを守れよなッ!

交通ルールと言えば、最近気になることがある。
坂道ですれ違う時、「登り優先」が当然だと思っていたのだが、最近、下りのクルマが関係なく突っ込んでくる。

何様だ!と叫びたくなる(たまにホントに叫んでしまう)ほど。

オートマが当たり前になってマニュアル車が絶滅危惧種となった今、「登り優先」も失われつつある譲り合い精神になってしまったのかねぇ。

8/16/2015

2ヶ月ぶり!

すっかりサボり続けて、2ヶ月ぶりの投稿です。
サボり続けて…というのは正確ではなくて、この2ヶ月、というか、それ以前からも投稿数が減っちゃったのは、ブログ等で公表できない事柄に支配されてしまって自分自身をコントロールできなくなってしまっていたから。

だと思われます。

まぁ、ちょっとメンドクサク感じてたのも確かにあるけど。

それで、自分自身を取り戻すというと大袈裟だけど、ブログには書けないことは当然ある訳だけど(仕事のこととかね)、日頃感じたこと気になったことなどを再び勝手気ままに綴っていこうかと。

さて、
昨日までの3日間、学生たちが雄勝町でボランティア活動をするというので、マイクロバスの運転手として参加してきた。

活動の中心となるのは、震災前から行われていた灯籠流しのお手伝い。震災によって激減した現地住民に代わって灯篭を作り、片付けまでを行う。

私は、雄勝町は初めて。
遠目には、海と山が共存する美しい風景だが、足下に目を移すと、津波が全てを持ち去った痕跡がはっきりと残っている。

今回の活動は、東北学院大学の学生だけでなく、他大学からも学生を募って行う夏休み企画のひとつ。中心となる運営スタッフは本学の学生で、参加学生はおよそ30人。付き添うオトナは私を含めて3人。できるだけ学生の主体性を生かした活動を目指したが、なかなか良い活動だったと思う。

私は、できるだけ目立たないように活動した。それが良いのか悪いのかは分からないが、とりあえずそうしようと思った。

他大学の企画するボランティア活動では、コーディネーターや臨床心理士(だったかな?)が同行して、事前に「講義」を行ったり、様々なケアを準備する場合もあるようだが、本企画では、運営スタッフである学生がそうしたサポートも受け持つ。せっかくそうした企画に参加するのだから、付き添うオトナが目立ってしまっては本末転倒かと。公序良俗に反しない限り、彼らの方針を最大限認めて付き添った。

それによって、私自身には多少のフラストレーションは生じたが、まぁ、学生たちの成長の糧になったと思えば諦めもつく。

今回、初めて「語り部」と言われる方の話を聞いた。
鬼気迫る話ぶりに多くの学生たちが涙を流していたが、私にとっても衝撃的だった。

その方は母親と祖母を亡くしたのだが、母親の死因は凍死。つまり、津波からは生き逃れたのに、その日の晩の寒さには耐えられなかった。そしてさらに、他人と間違われて引き取られ、何と火葬までされてしまっていたとのこと。

津波によって、本人確認が難しい場合もあるという話は聞いたことがあったが、既に火葬されお骨になってしまってから再会できた場合があったとは。どんな姿であっても、一目会いたかっただろうに。胸が苦しくなる。

それから、今回、初めて大川小学校を訪れた。
児童・教職員の大半が津波の犠牲となった場所だ。

今もなお、当時のまま校舎が残っていて、津波の破壊力を私たちに静かに語りかけていた。

震災発生から4年5ヶ月。
あらためて、お亡くなりになった方々のご冥福をお祈りします。

【2015大学間連携夏ボラ】石巻市雄勝町プロジェクトがスタート
8月14日東北学院大学ボラステの皆さんに防災教育を実施!

6/16/2015

血液検査の結果

かかりつけの病院で採血した検査結果を聞きに行ってきた。

尿酸値もコレステロール値も全く改善せず。

クスリを変えてみましょう、という医者のアドバイスに従って、尿酸値を下げるクスリを変え、コレステロール値を下げるクスリも変えて再開することに。

やっぱり気分は良くない…
皆さんも健康にはご注意ください。

5/23/2015

物忘れ?

最近、というか、ここ数日、物忘れ?置き忘れ?が激しく、今現在で、自転車に乗る時にズボンの裾をしぼるゴムバンドと、クルマを運転する時に掛けるメガネが見当たらない。

どこ置いたかなぁ?

5/17/2015

今月も牧沢へ

先月19日に続き、今日も気仙沼市の牧沢仮設住宅へ学生たち9人を連れて行ってきた。
今回は、仮設住宅の近くにあるリアス・アーク美術館内にあるレストラン「キッチンスペース 夢の舎」で昼食をいただきながら、住民の皆さんと交流を深めるという企画。往復の散歩も、外出が少なくなりがちなお年寄りにとっては大切な意味を持つ。

学生たちは、それぞれ住民の皆さんとおしゃべりしながら歩き、率先してコミュニケーションを図ろうとしている。今回初めて参加する学生も、他大学から参加してきた学生も、やはりボランティアに参加しようというだけあって、取り組みが積極的で、いつものことながら感心してしまう。

「キッチンスペース 夢の舎」は、大きな窓から美しい景観を望め、そのほとんどが地元気仙沼産の食材という料理もたいへん美味しく、心地良い空間だった。

食事中の様子↓



私も、2月に初めて牧沢を訪れてから、いつもお世話をしてくれる方とじっくりお話しする時間を 得、とても有意義に過ごすことができた。70歳を超えているとのことだが、矍鑠として常に学生たちに厳しく、しかし優しく接してくれる。料理の段取りから人生訓まで、話題に事欠かず、この方と接することは、牧沢にボランティアに行く学生たちにとって(私にとっても)ボランティアそのものと同じくらい重要な意味を持っている気がする。

食事のあとは、他のボランティアの方が刈り取った草を取りまとめて袋詰めして捨てる作業。今日は日差しが強かったので、短時間の作業だったが、なかなか厳しかったな!?



5/10/2015

完走の余韻

2年ぶりに完走した仙台ハーフマラソン。
軽いギックリ腰やら古傷の膝痛やらで、スタート前は十中八九リタイアかな?と思っていたが、iPhoneを入れるために着けていたウエストポーチがコルセット代わりとなって、腰痛は悪化することなく、膝痛は相も変わらず…というか、加齢と共にこちらは悪化してる気がするが、足を引きずりながらも、まずまずのペースで走り続けることができた。

昨年は無念の途中失格だったので、完走は感無量。仕事やいろいろなことがあって練習が思うようにできずに臨んだだけに、本当に嬉しい。


今回は、ホントに完走が目標だったので大満足! 膝の調子から言っても、記録はこれ以上は望めそうもないしね。


さて、今晩は余韻を味わいつつノンビリ休もう。





祝 完走!

何とか完走できました!

膝から腰から足から…痛いトコだらけだけど、とりあえず完走できたからOK!

スタート待ち

昨年、まさかの最終関門で失格という屈辱を味わった仙台ハーフマラソン。性懲りも無く、今年もエントリー。

GW中に軽いギックリ腰となる不運に見舞われながらも、何とかスタートラインに着いてます。

天気が良く、日差しが強くて風もあるという、あまり良くない?コンディションですが、腰痛と古傷の膝痛を楽しみながら走ろうかと。

完走できれば良いけど、無理せず頑張るべ。

4/27/2015

一度にひとつ

何か知らんけど、笑っちゃうぐらい忙しいぞ?!

焦って自分を見失わないように気を付けよう。
どうせやれることは一度にひとつだけなんだから。

4/21/2015

前照灯が盗まれた

仕事を終えて、21時過ぎに駐輪場へ行ってみると、愛車のクロスバイクに装着していた前照灯が盗まれていた。

前の自転車を買った時に、確かに盗まれやすいから駐輪する時は外して持ち歩いた方が良いとは言われていたが、これまで4年以上、盗まれたことはなかった。

よりによって、仕事(と言っても本業じゃない方)で疲れてる時に、学内の駐輪場に駐輪していて盗まれたとあって、腹が立つやら悲しいやら。

おまけに、帰宅して鍵をかけようとして手を滑らせて、鍵の金具がフレームに当たって塗装が剥げて傷が付いた。

残業代も出ない、手当も出ない仕事を自分では一所懸命頑張っているつもりなのに、何でこんな目に合わなきゃないんだろう…と虚しくなってやる気が失せる。けど、頑張るしかない。

夜中に愚痴ってすみません。

4/19/2015

再び牧沢へ

2月にも訪れた気仙沼市赤岩の「牧沢仮設」へ学生9人を連れて行ってきた。
前回は雪が降る中の移動、現地でも雪かきをしたのだが、今回はお花見。天気も良く、外にテーブルを出して昼食をいただいた。

学生たちは豚汁と焼き餅を計画し、現地の方が気仙沼ホルモンを準備してくれていた。私もバーベキューセットで木炭に火起しし、ホルモンや野菜を焼いてお手伝い。男子学生が作った豚汁がとても美味しかったのだが、どうやら味付けは現地のベテラン主婦のよう。でも、彼も前回同様、とても頑張ってました。

食事の様子はこちら↓


前回同様、帰省してきた孫たち(学生たち)とおじいちゃん、おばあちゃん、あるいは、子供たちと従姉妹の大学生のお兄ちゃんお姉ちゃんといった感じで、和気あいあい、本当に楽しんでいる様子で、見ていて心温まる光景だった。

食事のあとはみんなで後片付けをし、その後今回は、来週、災害ボランティアステーションの行事として気仙沼を訪れるバスツアーの下見として、まずは牧沢仮設の近くにあるリアス・アーク美術館へ。


そして、復興屋台村気仙沼横丁。


続いて、気仙沼復興商店街南町紫市場へ。


屋台村も市場も、午後3時頃だったがお客さんがいて、それなりに盛り上がっている様子。
ただ、私は気仙沼の海のそばを震災後に歩くのは初めてだったのだが、まだ、津波の爪痕を残す建物が数多く残っていて、復興はまだまだ道半ば…どころか、本当に進んでいるのか、まだ何も始まってないんじゃないのか、とすら感じた。

ホヤぼーやが示す津波到達点は6.3メートル。


屋台村にこんな石碑がありました。
冷蔵庫創業の地。だそうです。


4/17/2015

濃淡

枝垂桜と染井吉野。

4/12/2015

今日のワークアウト

来月開催の仙台ハーフマラソンを1ヶ月後に控え、今日は久しぶりのランニング。今年は、最終関門で止められて完走できなかった昨年以上に走り込めていない。何とか今年こそは完走を、と願っているが、時間が取れずひと月前になってしまった。

で、最後の悪あがきでもしようかと、今日は家から南下して青葉城址→八木山ベニーランド→向山を回るコース、約18kmを2時間ほどかけて走ってきた。

走り始めた当初は腰が痛み、その後比較的快調に走ったが、八木山の下りからは左膝の古傷が痛みだし、最後は歩くようなスピード…というか、歩くのもやっとな感じ。まぁ、いつもと同じってことだが。

あと1ヶ月弱、最後まであきらめずに頑張るぞ。



4/09/2015

満開

桜、満開です。


4/02/2015

入学式

今日は入学式。
よく晴れました。

実りある学生生活が送れますように。


4/01/2015

新年度になりました

いろいろ書きたいこともあるけど、時間がなかったり、ブログには書きにくいことだったり、いろいろあって書けずにいます。

そのうち折を見て(書けることは)書き綴りたいなと思ってますので、あたたかい目で見守ってください。

新年度もどうぞよろしく。

3/15/2015

追いコン

昨日はKayaksの追い出しコンパに行ってきた。
今年卒業する学年は、2011年に入学してきた学生たち。あの震災直後に入学してきた学生たちだ。

大学も被害を受け、入学は5月にずれ込んだ。練習もしばらくは朝練を強いられた。

そして、彼らが入部した直後、私は監督を辞した。

わずか数週間だが、一緒にグラウンドに立った部員たちが卒業していく。

何もしてやれなかったが、みんな立派に無事卒業していく。
4年間、お疲れさまでした。

マフラー交換

以前からお世話になっているディーラーで、愛車のマフラー交換をしてもらった。

評判の良い「ちょい悪おやじ仕様」のステンレスマフラー。

ホントは自分で交換したかったのだが、ジャッキやらウマやらなかなか準備できず、お手軽にディーラーに頼んでしまった。

昨日のうちに頼んでおいて、今朝取りに行ったのだが、手違いがあったらしく、これから作業始めますとのこと。小一時間ほど待たされて、作業終了。

さて、帰ろうと愛車を走らせ、排気音を楽しもうかと思ったが、予想以上に静か。ノーマルとの違いがほとんど分からない。

へー、こんなもんかぁー

と思った矢先、触媒?の警告灯が点灯していることに気付いた。

おいおい、やっとマフラー交換したのに、何だよー、と思いながらディーラーにUターン。確認してもらったところ、ネジがしめられてなかった?!

今回作業してもらったところじゃなかったが、そんなことあるのかとビックリ。
まー、旧いクルマだから多少のトラブルは仕方ないが、作業待たされた上に警告灯がついたりしたもんだから、今日はチョット嫌な気分になっちまったな。



3/11/2015

4年経ちました

2011(平成23)年3月11日(金)14:46に発生した東日本大震災から4年が経ちました。
今朝は、地震発生直後のような雪が降っています。
寒い朝です。

復興が長期化している、と、今朝のニュースで言っていました。
遅れている、って何で言わないのかな、と瞬間的に思ったけど、遅らせてる訳じゃないだろうからな、仕方ないな、とも思った。難しいところです。

引き続き、何らかの形で復旧復興に関わり続けたいと思います。
単なる自己満足にならないように、気を付けながら。


3/01/2015

半世紀

ご報告が遅くなりましたが、先月ついに満五十歳となりました。

50年生きとります。

半世紀です。

特別な感情は湧き起こりませんでしたが、50年生きてると考えた時に寂寞たる思いが全く無かったとは言えませんかね。

まだまだ活躍される諸先輩方が多い中、五十歳なんて若造の部類と言えるでしょう。日々精進を重ねて参りますので、今後ともよろしくご指導ください。